2021-03-23 第204回国会 衆議院 法務委員会 第6号
例えば、明治時代、地主さんが土地を出し合って地域のために公共的な土地をつくった、その登記が、登記上は例えば山下太郎兵衛ほか十六名というのがある、では、そのほか十六名というのは誰なんだというと、これは分からないわけですね。
例えば、明治時代、地主さんが土地を出し合って地域のために公共的な土地をつくった、その登記が、登記上は例えば山下太郎兵衛ほか十六名というのがある、では、そのほか十六名というのは誰なんだというと、これは分からないわけですね。
アラ石の山下太郎さんは、やっぱり百発百中のような感じで当たったんですね。だからアラ石というのは大変な役割を果たしてきたと。もちろん、今取り分が少なくなりましたけれども、そういう形になったと。だけれども、何か人の金だ、税金で入ってくる人の金だというような気持ちでやっているから、この三百社に出して、そして野方図にばらまいて、数撃ちゃ当たるというような感じでやってきたんだと思うんですよ。
実際、民間の活力というのはやっぱりすごいもので、先ほどからアラ石の話が、山下太郎さんの話とか、あるいは自動車会社がどんどん大きくなってきたことですとか、いろんなことを考えますと、もう商社の力とかあるいは石油会社の力とかあるわけですから、全く国がバックアップしないということではないんで、補助金なり何かという形でやるということにやっぱり改めていくということの方が私は機動的に動けるんではないのかなと、こう
アラビア石油の山下太郎さんから私は何も学んではいなかったんではないかと思います。ですから、それ以降、山下太郎さんに代わる日本を代表する石油開発経営者というのは果たしていらっしゃるでしょうか。私はゼロだと思います。 これは何を意味するかということは、完全に、石油公団というせっかくの器を作っておきながら、賛同する石油経営者の方も登場しなかった、残念なことに。
○本田良一君 私も、今おっしゃったとおり、経済産業委員会で何回も、山下太郎さんのような、あのときに石油公団を作らなかったら、あのアラビア石油を当てたときに、そして石油会社ができた、あのときに石油公団を作らなかったら私はこんなになっていなかったと。そして、先ほど私、財界の岡部さんに申しましたように、本当に山下太郎さんのような方が今日私は存在をしていなかった。
そういうのに対抗するには、アラビア太郎と言われたあの山下太郎さんのように、もう本当にリスクマネーもとにかくできるだけ自分で調達して、とにかく自分の力でもうけてやるぞという強い意思を持った民間、また、毎度毎度不穏な例えで恐縮ですが、戦前の軍部であれば、とにかく石油の一滴は血の一滴ということで、南方の石油は絶対押さえるとか満州の資源は絶対だとか、それだけの命をかけた迫力で、国が資源というものを国民のために
それから、日の丸原油とは何だろうなと最近思うんですけれども、アラ石は、あれはかつて自分の会社で、「プロジェクトX」なんかを見ると、山下太郎さんが自分で開発したわけですよ。
だけれども、今回の問題、あの山下太郎という人があそこで石油を掘り当てた。この山下さんの心意気というのは、日本はなぜ戦争になったか、要するに、油をとめられたから戦争になったんだ、それから、世界のこれからの趨勢というのは、油を持つ国が大きくなっていくんだ、こういうすごい大きな理念に基づいて山下太郎さんがアラビア石油であそこで掘り当てたわけですよ。
あのときは時間がなかったから、大臣がおっしゃった名前に対して私は言葉を挟みませんでしたけれども、山下太郎さんをおっしゃいました。
日本の場合、石油に対しては、やはり一つは、既にそういう国家戦略の構築をされていた中に、戦後、後発として乗り込んでいく、そういう中で、アラビア太郎なんという異名をとった山下太郎さんというような民間の方がアラブのそういう中枢に食い込んで、そしてアラビア石油を起こしたという、そういうような事例もありました。これは一つ特殊な例だったと思いますけれども。
がゆえに、山下太郎さんがあれだけ大変な御努力をされて築き上げてこられた日の丸原油というものがやはり消滅してしまったのではないかというような答えが専門家の答えだったと思うんですが、そのあたりはいかがでございますか。
しかし、どうしても私はこの問題については非常に思いがありまして、これからアラビア太郎と言われた山下太郎さんの話あるいはまた経団連の石坂さんやあるいは開発銀行の小林中さんやそういう人たちの大先輩のことを思い浮かべながら実はちょっと質問をしようと思ったんですが、しかしながらもう時間が参りましたので、あえて何かの機会に譲ります。
そういう時代でございますから、まだ石油の一滴は血の一滴と言われたような感じが強うございまして、日本として最初に海外で石油を掘るという山下太郎さんの大変な努力と勇気を感激いたしまして、日本政府としても全力を挙げてこのアラビア石油というのを開発し、日本にその石油をプロラタですべて持ってくるというような政策をとりました。 その後、この「油断!」
しかし、石油政策というものが、今まで国策であったのか、それとも私企業にゆだねていたのかということを論ずるとすると、いわゆるアラビア太郎さん、山下太郎さんは、資源のなさが戦争にまで結びついたと、過去のいろいろなことに心を痛めて、では何とか石油事業をやっていこう、それも閣議決定で、日本がそれを支援していこうという形でこのアラビア石油というのは成り立ってきたわけです、初めのうちは。
○加藤(清)委員 それではお尋ねいたしますが、政策原油と言えば日本にもそれがあるわけで、いまから約二十年も前に山下太郎さんが、その後総理大臣になられたいまは亡き佐藤さんの息子を連れて委員会へ日参なさいました。でき上がったのがアラビア石油でございます。今日アラビア石油は、今世紀終わりますと、仮に埋蔵量がどれだけあっても返納しなければならぬという状況なんです。
例の山下太郎さんがこれは開発したものですから。ただその後に公団が債務保証をしたというだけの話です。それからジャパン石油も、これは公団から融資を受けて開発されたものではない。これは、例のイギリスのBPだったと思いますが、これが開発した採油中の油田を買収したものです。したがって、この二社は除いて考えなければならぬ。
山下太郎さんとそれから佐藤総理のむすこさんが国会へ来られまして、あそこから権利を買い取られますときに、ここの国会で審議したことを覚えております。あれはもう二十年ほど前の話ですね。確かに石油資源開発法というのが昭和二十七年にできたのです。
○広瀬(秀)委員 そこで、特に安定供給という面で、石油の埋蔵されている地帯、一番手っとり早いのは中東だということで、アラビア石油はこれに山下太郎さんが一応成功したわけですね。いま、その石油資源の開発を日本の企業で進めている。
同時にまた、かつて高碕先生が経企庁長官、通産大臣をおやりになっておりましたころに、山下太郎さんが国会へ陳情これあり、あのときに初めて石油の問題について論議が戦わされ、そこでも同じように、将来のエネルギー源は原油である、したがって日本の経済の発展の基礎となるところの原油については慎重に配慮し、長期の安定策、総合策を講じなければならぬということが論議されたことでございます。
同時に、これは山下太郎さんつくるところの油をはじめとして義務的に割り当てられている。この油に含まれているところの硫黄分、これをひとつ年次別に統計を発表していただきたい。
そして直接抜き出す方法が、やはり国産というふうな形からいえば、山下太郎さんの会社ですか、いまクエートから運んでおりまする原油が一番これが多いようですから、そういう意味において、特になお私は脱硫ということを言っておるわけですから、どうぞそういう面もわかってもらいたいと思います。それでいまの数字をどうぞひとつこの次までに出していただきたい。
これはなるほど企業家山下太郎君の特別な計画なり、あるいはそのもくろみということもございますが、これの発展に対しましては、そういう意味で、財界も積極的にこれに協力をした、また、製油業者等も間接にこれに協力する、あるいは国内の大産業等もこれが開発に協力する、こういうことでスタートいたしたわけでございます。
私の接触しておるのは、通産省と違いまして全面的でございませんが、ある石油精製会社の有力な社長なんかに聞きますと、アラビア石油は山下太郎さんを社長にする個人会社みたいなものだ。ところが一方親会社との関係では一〇〇%がひもつきという契約があるので、そういったような形ではいかにも自分らとしては引き取りにくい。
非常にいい例をとりますと、山下太郎さんの当てましたアラビア石油、これは世界的奇跡のようなものですけれども、一本の井戸で一日に一千トン出る。私の方は二千木の井戸でそれだけしか出ない。だからお話にならぬ。競争力から申しましても、今私の方でやっておりますものは引き合わない。小さい井戸はどんどん廃棄する、なるべく新しい油田を発見して、その新しい油田の方に人員を移動していくという方針をとっております。