2019-05-30 第198回国会 参議院 農林水産委員会 第13号
今は、この間、ある前の村長さんを何期も務めたもう九十近くの方ですけれども、今はもう人は山に入らなくなっちゃったと、確かに皆伐ばっかしやるけど、山そのものはもうそういう目でしか見られなくなってしまったということをぽつりとこぼしておられましたけれども、こういうことも併せて、林野庁の方で山と人との付き合いということも是非何かの形でいろいろ検討して情報発信をしていただけることも大事ではないかと思いますが、林野庁長官
今は、この間、ある前の村長さんを何期も務めたもう九十近くの方ですけれども、今はもう人は山に入らなくなっちゃったと、確かに皆伐ばっかしやるけど、山そのものはもうそういう目でしか見られなくなってしまったということをぽつりとこぼしておられましたけれども、こういうことも併せて、林野庁の方で山と人との付き合いということも是非何かの形でいろいろ検討して情報発信をしていただけることも大事ではないかと思いますが、林野庁長官
これからも林野庁挙げて、この山の在り方についてしっかりと、人との付き合い方も含めまして、この山そのものを見詰め直していきたいなと、そういうように感じました。
でも、山そのものが仕事になる、雇用として、収入としても安定しているというのを示せば、これは人口対策にもなってくるというわけでありますし、活用できる森林面積でいえば、日本は世界有数の国でもあります。資源のない国ではないんです。ということであれば、しっかりとこれを捉えていく。
○古川(康)分科員 今でも、唐津くんちの曳山の、山そのものの総塗りかえとかについては、その台車も含め、全体をこの事業で支援していただいているんですね。それには綱でも対象になるというふうなことも伺っているわけなんですけれども。 今私がお尋ねをしていたのは、重要有形の民俗文化財の修理・防災事業の場合は、山、鉾、屋台等の修理とはっきり書いてあるんですね。
ただ、土地の形状が変わって、例えば山がなくなってしまっているとか、宅地を開発するときに山を切ってしまって山そのものがなくなっているとか、特別なそういった地形の変更、こういったことをやっているケースは、ごくまれではございますが、ございます。けど、基本的には、やはり危険箇所というのは、その後、基礎調査をしても危ないという実態はあるかと思われます。
山そのものは、戦後の植林などもありまして、杉なら杉というような形が多かったわけでありますけれども、今後のことを考えると、そうした比率を、先生が御指摘のような混交林というものの割合をふやしていくということが、やはりこれからの私どもの考え方の中に大きく入れていかなければいけないことだろう、そのように思っているところでございます。
山際の県道を走ったら、消防の方には命の保証しませんと言われましたけれども、走りましたら、もう沢から水があふれているというより山そのものから水がにじみ出ているような状況で、本当に恐ろしい思いを感じながら走っていたわけでありますけれども。 こうした、実は福島県、まだ原発事故も収束をしていない、さらには昨年の暮れから今年にかけては豪雪もありまして、大きなまた災害を受けているところであります。
これは、高齢化現象ということもありますし、山そのものが荒廃してきているということも起因するわけですけれども、私はやはりいろんな森林整備事業と併せて、その境界の確認ができるようなそういう制度をしっかりと一緒に動かさないと、あらゆる何か事業をやろうと思っても、何か政策を動かそうとしても、境界がはっきりしないから遠慮しますというようなところが結構あるようでございますので、その境界確認というような業務に対して
ここの場合は、自然豊かなミカン山など、山をばっさり削って、山そのものを崩してやろうという計画ですから、どだい、余りにもむちゃくちゃだというふうに思いました。
そういった意味での原点がこの安全啓発センターであり、かつ御巣鷹山そのものである、こんな認識でやっていきたいというふうに思っています。
それはまさに、道路が欠落をするということではなくて、山そのものが壊れてしまうために、道路の根幹をなす、いわゆる川も山もすべて喪失をしてしまったために、交通体系をすべて失ってしまったというような現況でございます。
この山には田んぼも畑もへばりついている状況がおわかりいただけると思いますけれども、今回の災害、地盤災害とはいいながら、崩れた災害ではなく、山そのものが移動をしてしまったために、河道を閉塞してしまい、今はまだ十月二十四日の写真ですので川に水が湛水をしておりませんが、この後湛水をし、十四戸の住宅が水の中に埋もれてしまい、現在もまだ土砂と水の中にいるというような状況でございます。
ということになりますと、林業が全然割に合わないものですから木材価格も低落しているんだ、同時に山そのものの土地価格もめちゃくちゃに下がっております。極端に言えば、もうただに近いぐらいの、奥山の土地というのはそんなぐあいになっている。
したがいまして、今、専門家の方々に集中的にお願いをいたしまして、林業あるいは山そのもの、あるいは森林といったものに対しての基本的な問題について御議論いただき、近々一つの結論をいただくことになっておりますけれども、そういう形を農業基本法と密接不可分のものとして、森林・林業の基本法的なものをつくることも念頭に置きながら今御議論をいただいているところでございます。
これと並びまして、国有林あるいはまた公有林、民有林との一体的な事業というものも民間業者も含めましてやっていくことによって、長期的な計画ではございますけれども、先ほど申し上げたように、これから適齢伐期の木が生えてくる、それから林業をめぐる環境も何としてもよくしていかなければいけないということで、山そのもの、あるいは森林空間、あるいはそこに住む人々、そしてまた森林木材産業、全体が持続的な発展ができるようにしていこうということで
したがいまして、何としても山そして林業を守っていくために、一方では労働力の減少、高齢化といったまた厳しい現状もございますけれども、材としてもあるいは山そのものに対しても、子供たちも含めた国民のニーズにこたえる山そして林業というものを維持していくために、生産性の向上、経営支援のための諸施策、あるいは森林組合等の森林施業の担い手の育成、そして木材需要の拡大といったような施策を総合的に講じております。
しかも、あの地域は前面が斜面の町ですから、民間宅地造成といいましても、山そのものを削る、あるいはそこに少々の盛り土をしてつくっていくという、非常に自然斜面に近い形での擁壁なんですね。それが大規模にこうして破壊している。これを個人の力で何かしろといっても非常に限界がございます。
暴れ川であった筑後川が、まあ土石流みたいなイメージだと思うんですけれども、山そのものが潮のごとく押し寄せてくる、そして川をはんらんさせるというそういうことが頻繁にあった。
山そのものの所有というのはみんなのものだという公的な性格があったということを考えると、自治体が買い入れて、そしてきちんと管理をする。これは地域の緑を守ることにもなるし、それから森林が持っている、山が持っている水源涵養の機能とか土砂の流出防止機能とか景観保持機能とか、こういう機能を守るということになって非常に意義のあることではないかと私は思います。
一方で人間疎外の一極集中が進み、他方で我が国経済と国民生活の安定に寄与してきた農林業は衰退し、石炭に至りては山そのものが壊滅し、過疎と疲弊の村や町が残されました。また、競争社会の悪弊を偏差値教育で持ち込んだ結果、高校までの中途退学者、小中学校における登校拒否の実態は極めて深刻であります。
実は、私、今回森林二法ができた、このことはいいことでございますが、国有林あるいは民有林も含めまして、一日もゆるがせにできない山そのものの荒れている現状に本当に国が責任を持って対応しないと、国土崩壊にもつながりかねない大変な荒廃になる、そういう見方をしております。
また具体的に、そういう不在山主の方は、極端に言って申しわけないのですけれども、山を愛するとか、手入れをして木を大きくしていって何年か後に木を売ってということではなくて、山そのものを売り買いしたい、こういう方が多いのではないかと私は思うのです。