2012-03-21 第180回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
そして、みずからも台湾師範学校の出身でありますから、尊敬する政治家を屋良朝苗先生と言い、そして瀬長亀次郎先生を尊敬する、そういうふうなことを沖縄の政治のスタンスでは言っておりました。本土の自民党の政治家の中で、瀬長先生が亡くなっておうちにまで手を合わせに行ったのは山中先生しかいないんではないかと思いますね。 二つ目に、沖縄県民の視点を忘れるなということをよく言っていました。
そして、みずからも台湾師範学校の出身でありますから、尊敬する政治家を屋良朝苗先生と言い、そして瀬長亀次郎先生を尊敬する、そういうふうなことを沖縄の政治のスタンスでは言っておりました。本土の自民党の政治家の中で、瀬長先生が亡くなっておうちにまで手を合わせに行ったのは山中先生しかいないんではないかと思いますね。 二つ目に、沖縄県民の視点を忘れるなということをよく言っていました。
そのとき一番御指導いただきましたその一人は屋良朝苗先生でございまして、沖縄教職員会の会長をされておられたわけであり、その屋良先生とも特別な御関係があったということは承知をいたしておりましたが、今申し上げたように、コザの市長をされておられました。
私の体験上から申し上げますと、昭和三十年代に、実は沖縄復帰運動に学生として取り組んでおりましたときに沖縄県に参りまして、当時の教職員会は、会長は屋良朝苗先生、事務局長が喜屋武先生でございまして、当時、まだ米国の施政権下にありまして、日の丸を国旗として掲揚することが許されざる状況でありまして、祝祭日等に当たりましては、紙に書いた日の丸を一本のみならず一家に数本上げて祖国復帰を願ったという心情も私は承知
まず最初に、昨日行われました元沖縄県知事屋良朝苗先生の県民葬に際しまして、総理みずから来ていただきまして、追悼の言葉を述べていただきましたことにまず感謝を申し上げたいと思います。そして、稲垣開発庁長官にも本当に感謝を申し上げたいと思っております。 総理、本当に毎日御苦労さまでございます。私も、きょうの質問の時間をいただきましてから三日間、眠らずにずっと考えておりました。
昨日、沖縄においては屋良朝苗先生の県民葬が行われました。お忙しい中、総理も、そしてまた各党の党首の皆さん方も参列をいただきました。屋良先生の業績、功績を私たちは高く評価し、そしてまた尊敬をしております。そういう尊敬をしている県民の一人として、お忙しい中参列いただきました総理並びに各党の党首の皆さん方にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
こういう中で教職員会、青年会、婦人会、PTA、三政党等十八団体で、沖縄土地を守る協議会(会長は屋良朝苗先生)が結成されました。この土地協主催の七月二十八日の県民大会には、二十万余の県民大衆がさしもの広い那覇ハイスクールの校庭を埋め尽したのであります。沖縄本島の人口は約六十万でありますから、人口の約三分の一が参加したことになるわけであります。