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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1975-03-28 第75回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

政府委員銅崎富司君) 直接調査をいたしたことはまだございませんが、たとえば屋良小学校におきまして、爆音児童にどういう影響を与えるかということを調べました。いろいろ目がかすむとか、頭が痛くなるとか、耳にいろんな障害があるとか、そういう細かいデータをいただきまして、私どもといたしましても、爆音とどういう関係にあるかというのを、そのデータをもとにしていろいろ研究してみたことはございます。

銅崎富司

1974-11-18 第73回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

屋良小学校では、四十八年七月に防音校舎の竣工をみましたが、抜本的な発生源対策が放置されているため、一方で地区児童に教育上の悪影響が出ており、子供たち教室に引きこもりがちとなり、校庭での運動や戸外での遊びをしたがらない子供が多くなりつつあるとのことでございます。

稲嶺一郎

1972-10-12 第69回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

派遣委員は、湊徹郎君、豊永光君、西宮弘君、伊藤惣助丸君、門司亮君、東中光雄君と私、鯨岡兵輔の七名でありましたが、現地では、当委員会委員でもある現地選出議員の参加も得まして、那覇市において沖繩総合事務局那覇防衛施設局沖繩振興開発金融公庫及び沖繩電力株式会社から業務報告を受け、また沖繩県、同市長会、同町村会及び同離島振興協議会等自治体関係者並びに商工会議所、全軍労代表と懇談するとともに、嘉手納村立屋良小学校

鯨岡兵輔

1972-08-17 第69回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

これは屋良小学校、嘉手納小学校嘉手納中学校北美小読谷村の学校読谷村の高校、その他伊江村で一件ぐらいということで、一応十一件ぐらいを考えたい。これもなかなか、その場その場の騒音測定と、それからやはり御希望、それに、御承知のように単年度ではできません、いろいろ設計等にもかかりますので。しかしそれぐらいは手がけたい、こういうふうに思っております。  

薄田浩

1972-05-23 第68回国会 参議院 文教委員会 第5号

鈴木美枝子君 そのことを屋良小学校報告したいと思います。小学校でございますけれども、二百メートル先に嘉手納飛行場があるという重要な場所小学校でございますから、ぜひいまのおことばをお約束していただきたいと思います。そして、また、嘉手納中学校、そこもやっぱり同じようになっておりますので、よろしくお願いいたします。  それからコザのほうへ私は行ってまいりました。

鈴木美枝子

1972-05-23 第68回国会 参議院 文教委員会 第5号

鈴木美枝子君 嘉手納飛行場屋良小学校の間は二百メートルしかありません。いま防音装置だけを言いましたけれども、エンジンの調節のために百五十ホン以上の音が出るから、いままで二重窓でやっていたわけですけれども、本土と違いまして温度がものすごく高いところですから、夏になりますと三十二度、三十四度という温度の中で風も入らないところにある。

鈴木美枝子

1971-12-29 第68回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第1号

政府委員島田豊君) 騒音測定でございますが、一九六九年に対策庁と共同して調査いたしましたところでは、嘉手納村の屋良小学校について測定したととろでは、これは滑走路側方八百メートルでございますが、一〇〇ホン以上が一授業時間当たり三回、それから九九ホンから九五ホンが十回、それから九四ないし八〇ホンが連続して発生をしておる。古堅中学校につきましても大体同様の騒音でございます。

島田豊

1971-12-20 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会、内閣委員会、法務委員会、文教委員会連合審査会 第1号

屋良小学校を全部防音校舎をつくりましたと、文部省からそういう報告があった。私が行ってみたら、なるほど防音校舎はつくった、しかしそれは間に合わせのものだ。しかも沖繩は非常に暑いとこですから、冷房装置がなければ防音校舎の意味がない、二重窓は。その冷房装置アメリカ軍の古いものの払い下げをつけてある。半分しか使いものになっていない。

鈴木力

1971-12-20 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会、内閣委員会、法務委員会、文教委員会連合審査会 第1号

○国務大臣(山中貞則君) 私が安永委員に答弁をいたしましたのは、私が屋良小学校に行ってそして直接その騒音の状態も知り、そして直ちにそれが本年度予算嘉手納屋良小中嘉手納中学校を処置したということを申したのでありまして、ただいまの防衛庁長官の言われました、一方来年度予算において実施すべき学校数、その場所名というものは、当然要求額としては防衛施設庁長官のほうで説明できるものと思います。

山中貞則

1971-11-02 第67回国会 参議院 予算委員会 第3号

その子供にとって、一年は取り返しのつかない一年でありまして、その環境の中で嘉手納小学校中学校子供というものは、あるいは屋良小学校子供というものは自動車の警笛を鳴らしてもよけてくれない、困ったもんだという話も聞きました。それは自分たちが消しゴムを削って、騒音に耐えるために耳に差し込んで、それが取れなくなっておるんだというふうな話も承ったわけであります。

山中貞則

1971-03-16 第65回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

これも幾ぶん古い資料でございますが、屋良小学校の場合、児童生徒調査状況で、爆音のために夜ときどき目をさますというものが五三・一%、あるいは爆音のためにものに飽きやすいというのが五八・六%、よく鼻が詰まるというようなものも四八・一%、すべてが爆音影響というふうに医学的に規定づけることはできないにしても、少なくとも殺人的な爆音被害から受けている影響というものは、多分に必理的に影響していると思うのです

上原康助

1968-12-18 第60回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そうして爆発地点から八百メートルほど離れたところに屋良小学校があるわけでございますが、そこの幼稚園——普通、小学校の場合には防音教室になっておりますので、少々のなにではこわれませんが、幼稚園の場合には普通ガラスが使用されてございますので、ガラスがめちゃくちゃに園舎の中に飛び散ったというわけでございます。

津波古行徳

1968-12-18 第60回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そういう恐怖がまださめやらないやさきに、今度は十二月五日に同じB52が滑走路をはずしてしまって芝生の中に脚を突っ込んで、あわやという惨事も起こりかけたわけでありますが、そのときに屋良小学校子供たちはもうおびえてしまって、先ほども話がありましたように、屋良小学校はすぐ近くで滑走路から百五十メートルしか離れておりません。

山田朝良

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