2019-04-11 第198回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号
地元の自治体の連携や、あと自衛隊、そして海上保安庁の協力により、フェリーや給水ホースなどを利用し給水が確保されましたが、一方で、地元の方々にお話を伺ってみると、実は、島に屋代ダムという治水ダムがあるんですけれども、このダムの水を利用できれば便利だったんじゃないかというような御意見がありました。 そこで、お尋ねいたします。
地元の自治体の連携や、あと自衛隊、そして海上保安庁の協力により、フェリーや給水ホースなどを利用し給水が確保されましたが、一方で、地元の方々にお話を伺ってみると、実は、島に屋代ダムという治水ダムがあるんですけれども、このダムの水を利用できれば便利だったんじゃないかというような御意見がありました。 そこで、お尋ねいたします。
土砂災害防止法は、先ほども出ましたけれども、一九九九年の屋代川の土砂災害を契機にしてつくられました。この屋代川というのは、今回起きた阿武山の西側を流れる川でございまして、前回は今回の山より一つ西側の山で土砂災害が起きたわけでございます。
長野県においても、平成十四年に長野電鉄の木島平線、そして平成二十四年でありますが、同じく同屋代線が廃止となっており、通勤通学の皆様に大変大きな影響を与えているわけでございます。 特に地方においては、人口の減少が進む中、このままでは公共交通を維持することは極めて困難な状況であると申し上げざるを得ないのであります。
しかし、広島市の災害地の一部を今紹介いたしました、そして亀井先生もおっしゃった観音台団地や屋代地域ですね、今回崩れたところ、特に観音台団地の周辺は土石流の危険箇所として県が指定しているところなんです。
広島市佐伯区の屋代川、荒谷川、堂ケ原川、古野川の四カ所の災害について特に詳しくお願いしたいと思います。 まず第一は、この被害が大きく、十一名の死者を出しましたところの避難勧告は出ておりましたでしょうか。
屋代川では計画五基のうち二基、古野川では計画六基のうち二基が設置されておりました。その他三渓流では未着手の状態でございました。また、がけ崩れで死者が生じた八カ所は、いずれも整備途上または未着手の箇所で災害が発生しております。 今後、施設の重点的整備の促進と警戒避難体制等の確立とをあわせた総合的な土砂災害対策に、なお一層邁進していきたいと考えております。
まず、各地区、御指摘のありました屋代川、荒谷川、堂ケ原川及び古野川に係る地区、四地区でございますが、そこで土石流そのものが正確に発生をした時刻というのは正直把握をされておりませんが、二十九日の十四時から十六時までの間に、地域によっては数回にわたって土石流が発生をしたというふうに推測をされております。 それで、このような災害の発生を覚知した時刻でございますが、これは広島市の佐伯消防署でございます。
法務局の人員増、それから、たとえば施設を見ますと一番古いのが屋代簡裁でございますが、明治三十六年の木造建築物、八十年経過しておるわけなんです。そのほか話題になりましたのが、きょうは最高裁はお見えになっておりませんけれども、最高裁の三十年たった人でも表彰を受けられる人は年に一人か二人。
○屋代説明員 日韓大陸棚協定に基づきます共同開発区域におきましては、以西底びき網漁業、それから大・中型まき網漁業、釣り・はえなわ漁業等の漁業が行われておりまして、昭和五十年におきましては三万九千トンの漁獲を上げております。 おもな魚種といたしましてはアジ、サバ、タイ、グチ、タチウオというふうな種類でございます。
○屋代説明員 そういう計画が出てまいりました場合に、県を通じましてそれを漁業者段階におろす場合もございますし通産省から農林省側に協議があるケースもございます。そういう場合に応じまして、関係漁業者にその趣旨を十分に了解させた上で同意という段階に移るわけでございます。
○屋代説明員 探査あるいは採掘に当たりまして、その実施の時期、実施の地点、それから実施の方法、こういうふうなものにつきまして漁業が不当に影響を受けないように事前に十分に関係漁業者との話し合いを進めまして実施に当たっていただくということでございます。
それからまた、調べるにあたっても、米澤は七月二十五日に逮捕されたときの調べで、屋代用水の敷地あとの一まず山分けをして米澤の名義になっていると大声で追及した、これは伊藤検事だ。私が黙っていると——すなわちこれは米澤の私に送ってきたものですが、米澤が黙っていると、それみろ、ほんとうだから何とも言えないじゃないかと、五、六回おどかした。これはそのとおりですな。こういう事実もあります。
それで、こちらの改良区のほうの事件の概貌を申し上げますと、改良区の認可をされた地域の中に屋代用水というものがございます。ところでこの改良区は、最初は全体として認可になったのでありますけれども、その後一、二、三、四とこういうふうに分けて改良区の仕事をするように途中で変更になりました。それで各地域ごとに改良が実施されていった。
あと二つのいわゆる屋代の土地改良区関係の事件と、それから北信ニット関係の事件、この二つにつきましては、これは検察官が事件を認知し、捜査をして起訴したという経過になっておるわけでございます。 これら三つの事件につきまして、先ほど申しました米澤氏外二名について一括して昨年の九月十六日に公判請求をいたしておるわけでございます。
また、白鷹町、長井市、川西町、米沢市、南陽市、高畠町、大石田町等では、犬川、黒川、白川、屋代川等の中小河川及びこれらの河川を集めた最上川は、異常な流量のため、破堤及び溢水を生じ、流れ込んだ濁流により、多くの家屋が浸水し、ところによっては棟下まで水没する状況となり、実りの秋を目前にした田畑の冠水により農作物に甚大な被害が発生したのであります。
それから小国町につきましては、特に屋代川につきましては、二十カ所も破堤いたしておりまして、甚大な被害をこうむっております。その他最上川支川の犬川、黒川等におきまして被害を生じておりまして、付近の住家、田畑に浸水を起こし、被害を生じております。
○萩原参考人 その豊野の土地隆起の問題は、松代地震に関係いたしまして、地震研究所では松代付近の水準測量を繰り返して行なっておりましたが、より広い範囲の土地の変動も知っておいたほうがいいということで、これは私どもが国土地理院にお願いいたしまして、松本、上田、屋代、長野、豊野、中野にわたる水準測量の再測を行なっていただいたわけでございますが、その結果を、暫定的な結果でございますが、地震研究所の談話会で発表
すなわち若穂町の保科、松代町の象山、それから赤柴、それから屋代のほうに森というところがありますが、屋代の森、その四点に臨時の観測所を設けて地震の観測を続けております。そのほか、皆神山の付近におきましてプロトン磁力計による地震の観測、それから皆神山の頂上から三方向に対して光による距離の測定をやっております。また、松代町の付近に新しく水準点を設けて水準測量をやっております。
○屋代参考人 当時の発足は御案内の通りでございまして、もしこれに紛争等がありますと好ましくないという考え方から、県において五%の投資をいたし、県議会においてその趣旨を了承いたしまして、決議をいたしたものでございまするから、もちろん発足当時の考え方で現在もなお進行しなければならない、こういうふうに考えております。
○屋代参考人 一本化の姿と完全なるものというものは、同一視して考えてよいと思います。一本化なくして完全なる確立はあり得ないし、完全なる確立の上には一本化が当然自然的に生ずるものと考えますので、私は同一に考えていいと思います。
被害激甚地としては大島郡を初め離島でありまして、われわれも屋代島の大島町に渡り、最初にミカンの旱害を調査したのであります。被害ミカンは平年度に比へ収穫は二割減となり、さらに商品価値は十分の一に低下して、収入面から大きな打撃を受けていたのであります。
○占部秀男君 そこで、私もたしか知事の勧告が稲荷山と八幡村と、その隣の塩崎と、最初そういうふうになっていたと思うのですが、その後、今言ったように、川を越えての屋代それから埴生町ですか、これとが現在の更埴市になったと聞いておるのですが、ところが、現在の稲荷山の一部の住民の方々の分離運動というものは、この塩崎の問題ではなくて非常におかしな形に実はなっておるわけなんです。
○政府委員(藤井貞夫君) 当時稲荷山の住民の相当多数の方々が、いわゆる川を越えての埴生、屋代のブロックよりも、むしろ当初計画がございました稲荷山のまあ北にございます、塩崎というのがございますが、その塩崎の方にむしろ行きたいという熾烈なる要望が実はあったわけであります。
旧屋代可と、これは埴生町というのですかね、それと稲荷山町と八幡村と、この四つか集まって更埴市というものができたわけですが、その更埴市の中で、現在稲荷山町の一部の方々が更埴市を分離しようという運動を起こして、更埴市で相当、長野県下としては大問題になっておるというような事実があるのですが、そういう事実をお聞きになったり調べられたりしたことがありましょうか。
別表第四表名称の欄中「古市簡易裁判所」を「羽曳野簡易裁判所」に、「上下簡易裁判所」を「府中簡易裁判所」に改め、同表所在地の欄中「長野県埴科郡屋代町」を「更埴市」に、「大阪府南河内郡南大阪町」を「羽曳野市」に、「広島県甲奴郡上下町」を「広島県府中市」に、「鳥取県日野郡黒坂町」を「鳥取県日野郡日野町」に、「青森県下北郡田名部町」を「大湊田名部市」に改める。
今度の場合は、現地調査をしてみると、住民の意思、たとえば川向うの屋代、埴生、こちらの八幡、稲荷山、この住民の利害関係で川をはさんで対立をしているということなら問題は理解ができるのです。こういうケースは幾らでもあると思うのです。しかし、今回の更埴市の問題を見ると、住民対一部の有力者の争いです。これは現地へ行ってみればすぐわかります。住民対一部の有力者の争いが更埴市の問題になっている。
○藤井政府委員 更埴市制は、先刻申し上げましたように四カ町村でございまして、これはあまり具体的になるのはいかがかと存じますが、屋代、埴生、それから稲荷山、八幡、この四カ町村の計画でございます。初め県が計画をいたしておりましたものは、その中で稲荷山、八幡、それから塩崎、これは先般篠ノ井に入りまして篠ノ井市ができました。この三カ町村をくくって一つの町にしようという計画であったわけであります。
法的にどっちにつくかということを最初お尋ねしたいと思いますが、議員一人当りの人口ということになると、もしこの更埴市ができた場合には、屋代及び埴生町は長野県第二区です。稲荷山及び八幡村ば長野県第一区であったわけであります。ここで市がその境の上にできたわけです。そこで関係の議員一人当りの人口ということになりると、第一区は、国会議員の定数三ですから大体十七万です。
御承知だと思いますが、ここは屋代町、埴生町、稲荷山町、八幡村、この三町一カ村ですが、それぞれの議会の議決は屋代町が満場一致、埴生町が満場一致、八幡村が満場一致、稲荷山が十七対二ですか、たしかそう聞いております。そういうようなことで、お隣の篠ノ井市あるいは同じ長野県の塩尻市、この一部の村の反対とはけたがはずれて、ほとんど三町一カ村満場一致という形態です。
これらの事情を聴取いたしました後、当日は軽井沢町の水稲苗しろ、小諸市三岡地区のリンゴ、北佐久郡滋野本のクルミ、東部町の桑、クルミ、上田市中之条地区の桑を、翌十三日午前中は坂城町のリンゴ、桑、屋代町、松代町等川中島の千曲川に沿う地帯の桑について現地を調査いたしたのであります。
ただ立て方から申しまと、いろいろありますので、単なる屋代というものだけをここに挙げまて、その分だけは非課税にするといふうにいたしまして、今までのよう規定が郡席代の場合を飲食に見ているという習慣もあるかも知れませんが一応宿泊におけるところの部屋代とうものだけを分離いたしまして、これだけを捉まえてここに対象とする。
最後に屋代局でありますが、市内台磁石単式三座席、市外台五座席、市外回線十四回線、加入者二百四十二であり、呼数は昼間、市内一千三百八十二、市外六百四十四、夜間は市内五百四十一、市外は二百九十で、一日の計は市内千九百二十三、市外九百三十四であり、電信は一箇月千七百八通であります。これに対し令達定員は一四・五であります。