1964-06-05 第46回国会 衆議院 法務委員会 第41号
こういうように、平沢は警視庁におけるところの取り調べというものが、二人の刑事とそして居木井警部補によって、拷問に次ぐ拷問が加えられておるということは、本人自身が私のところに、ほんの一昨々日、この手紙を送ってまいっておるのであります。私はこういう点から申しまして、これもぜひ有力な再審請求の一つの理由をなすものであると思います。
こういうように、平沢は警視庁におけるところの取り調べというものが、二人の刑事とそして居木井警部補によって、拷問に次ぐ拷問が加えられておるということは、本人自身が私のところに、ほんの一昨々日、この手紙を送ってまいっておるのであります。私はこういう点から申しまして、これもぜひ有力な再審請求の一つの理由をなすものであると思います。
同年八月二十三日、居木井警部補の一行は遠く北海道小樽市に出張して、一応詐欺被疑事実で平沢貞通を毒殺犯人として逮捕し、意気揚々と帰京した。平沢は九月二十七日になって犯行を自供したが、拷問、自白の強要、誘導尋問等は全くなかったので、その供述の真実件は高く評価された。私にとっては正に晴天の霹靂であった。
その結果本年六月上旬この搜査に当つておりました主任の居木井警部補その他係員が、小樽で平澤画伯に会いましたところ、同画伯の人相が帝銀犯人にそつくりなので、同主任以下も非常に驚いたのであります。本人は名刺はすられたという事実を言つておるのでありますが、この点は頗る疑惑があるのでありますが、本人が帝銀事件後間もなく東京を去りまして、小樽に行つて歸つて來ないのであります。
それから次は、居木井警部補の疲労の問題につきまして、休ましたらどうかというお話でありますが、誠に当時參りましたときには、何と申しましても、事前の搜査、書類作製等に非常に連日の仕事で疲労しておりましたが、併し搜査というものは、途中でなかなか變え難い微妙なところがございますので、連行までは居木井主任とその部屋の刑事が当りました。
居木井警部補の言動でございますが、先程私の申上げましたように、居木井警部補は北海道へ參りまして、連日不眠不休で、平澤画伯連行の責任者として活動いたしました。而も船の世話から、汽車の世話から、一切のことを居木井一人でやつているのであります。恐らく平澤画伯以上に居木井は疲労困憊その極に達しておつたろうと思います。