1964-03-26 第46回国会 参議院 予算委員会第三分科会 第2号
まあ新宿辺は野津組とか尾津組とか和田組とか、いろいろなのがあったんですよ。これも逐次変わってきております。大資本が入ればぽっと取って、この前も暴力団はいま地価が上がっていますから、どえらい金でももらえば、金を持って逃げるというケースが多いんです。
まあ新宿辺は野津組とか尾津組とか和田組とか、いろいろなのがあったんですよ。これも逐次変わってきております。大資本が入ればぽっと取って、この前も暴力団はいま地価が上がっていますから、どえらい金でももらえば、金を持って逃げるというケースが多いんです。
今特審局長に質問いたしましたる野原組などというものも、特審局が特別に調査されておるそうでありますが、こういう暴力団、あるいは尾津組だとか和田組だとかいうような暴力団の状態、こういうものにつきまして、警察では一体、特に視察をなさつておるのであるか、あるいは取締りをなさつておるのであるか、ほとんど放任状態ではないかという輿論なのでありますが、どういう状態に相なつておりますか、お聞かせ願いたいのであります
ただこうした組、野原組であるとか、尾津組であるとか名前を仰せになりましたけれども、これらにつきましては特審局におかれまして、いわゆる団体等規正令その他によりまして、それぞれ取締りをされておるものと考えます。
ただ、たとえば東京の尾津組とか関根組とかいうような大がかりな、政治的な背景を持つているような団体というほどまでは、まだ認定ができがたい状態でありました。神山孝三なる神山組の棟梁は、その前に鈴木安三郎という大親分がありまして、この親分の死亡後いわゆる跡目相続と称しまして、跡目を相続してこのひろうをやつた。
○証人(松尾啓三君) 組織といつても、ここら辺の尾津組というようなそんな組織じやない。そんな考えでおられるかどうか分りませんけれども……。その点仙台が一等進歩しておるのじやないかと自分じや自負しておるわけです。昔から親分子分というようなことは余り好きな方じやないのです。
○委員長 どうですか、尾津組が本件事件解決のため、或る官廳とか或いは政界の名士の力とか、政治的な運動をして、本件解決を有利に導くというような行動に出たということはないですか。
の実体 イ、尾津組の組織、組員の経歴、組内の仁義、團結力、財力 ロ、尾津組が國家権力殊に警察等を無視した行動等をとつてゐた事実の存否 ハ、尾津組の勢威及び不逞行爲に関する社会一般の風評輿論 2、本件捜査開始後の尾津組の動向 イ、警察関係に対し威圧を加えたことはないか a、呼出に應じたか否かの状況 b、関係者に威圧を加え若しくはこれを感じさせる如き言動がなかつたか
まず尾津組といつたら目の敵のようにしておりましたですね。当時警察なんというものは、何かというと、何か尾津組で要するに闇でもやつてないかとか、或いは又何か事件でも起していないかというような目で見て、非常にそういう目で見て、まず他のマーケツトを見て歩くのは本当の名前だけで、尾津組にはもうこの事件の始まる前からでございます。
尾津組にはいわゆる稼業人とマーケツト関係と二つあるわけであります。そこで今委員長殿が御質問になつておられる尾津組という、尾津組の主流をなしておるものは、今の侠客連ですね、私たちの場合はマーケツトを拵えた関係上、実業家連が集つて團をなしておるものなんです。
○證人(小峯忠生君) そういう社交團体がありますのですが、何か尾津組の中か外にそういうような一種経済團体或いは社交團体、そういうものはありませんか。
○證人(小峯忠生君) 当時の尾津組のテキ屋仲間の若い者が、非常に悪い者が多くいましたから、尾津組の者が何か犯罪を起すときは、本人を呼んで保証を出さしたりしたようなことがあるのです。
○委員長(伊藤修君) そうすると、尾津組の威力とか尾津組の勢力というものは、そう考えられないのですがね。あなたのお言葉だけだとするさ……。
この事件の被告人である尾津喜之と助という者は、香具師飯島一家の流れを汲む関東尾津組の組長でありまして、その縄張りは新宿一円を中心として四谷、牛込、世田ヶ谷、中野、及び杉並一帯に及ぶと言われておつたものでありますが、同人は昭和二十二年七月三日、強要罪、暴力行爲等処罰に関する法律違反罪によつて、東京地方裁判所に起訴されるに至りました。その起訴事実はお手許に差上げました書面に認ためてある通りであります。
最近警視廳が、例の尾津組というものを、この種のものとして、檢挙いたしておりますることは、新聞の報道によつて御承知のことと思うのであります。これは、ただいま取調中でございまして、結果はまだ申し上げられないのであります。