2015-09-18 第189回国会 衆議院 本会議 第47号
私の尊敬する憲政の神様、尾崎咢堂氏は、昭和二十二年、「民主政治読本」でこう言っています。 一般人民から選ばれた代表が一堂に会して会議を開くのは、何のためであるか。
私の尊敬する憲政の神様、尾崎咢堂氏は、昭和二十二年、「民主政治読本」でこう言っています。 一般人民から選ばれた代表が一堂に会して会議を開くのは、何のためであるか。
こちらは、一九七九年、今から三十六年前にできた組織ですが、先生方とも御縁の深い憲政の父とも言われております尾崎咢堂、尾崎行雄の三女であります相馬雪香がつくった組織です。そのとき相馬が口にしていたのが、日本の善意の伝統を世界に広めていこうと。
また、地域のそれぞれの偉人というものが存在していて、これは非常に重要なことで、例えば私の地元の津久井なんかでは、尾崎咢堂、これはみんなに知っていただきたい。さらには、生まれた長野だったら、佐久間象山、これもみんなに知ってもらいたい。こういった地域独自の偉人伝等の授業に対しても一生懸命応援していこうという形で予算を計上している次第です。
ただ、最近の逆の立場で受けていると、私もあれほどまでひどかったかなと思うぐらい激しいやじや質問をいただいておりまして、それと、若干の反省ということを申し上げたのは、国会の運営の中で、ねじれになるまでの間にもやや強引な国会運営をやって今の野党の皆さんからかなり強い批判をいただきましたが、そういった意味では熟議、先ほど尾崎咢堂先生のお話もありましたが、熟議というものを考える上では、どちらが与党、野党になっても
尾崎咢堂公のお言葉を引かれて、そして県議として五期連続、一貫して地域の発展に貢献された議員に心から敬意を表します。 小泉構造改革の評価についてでございますが、これはトリクルダウンといいまして、だれかが一点を持って、そしてその人が先に行けば、あと地域は何とかなるだろうと、こういう考え方、私たちはこういう考え方に立ちません。
国際交流という観点でも、大臣のホームページをのぞかせていただきましたけれども、どこかでお互いの心の結びつきを大事にしなければならない、それこそが、何よりも平和と民主主義の大事さを生涯訴え続けた尾崎咢堂翁の言葉であるというふうに書かれています。 繰り返します。遺骨は物ではありません。その人の人格、歴史、そしてその遺族の歴史でもあります。
ちょうどこのころ、憲政の神様、尾崎咢堂先生が、骨の髄まで平和主義に徹するよりほかに日本の生きる道はない、このように述べていらっしゃるとおりでございます。 こうした世界の潮流の中にありまして、日本が戦争放棄を宣言して、そして、こうした世界平和に貢献することによりまして平和を構築していこう、達成していこうと高らかにその理念を宣言されたものと思います。
かつて、憲政の神様と言われた尾崎咢堂は、人生の本舞台は将来にありと言いました。その意味するところは、政治は常に将来を見据えていなければならないということであります。 近年、小泉改革ほど将来を見据えて行われた改革はまれであります。小泉政権誕生前、バブル崩壊後も行われるべき構造改革が先送りされ、膨大な借金を積み上げてきました。
例えば、昭和二十一年の九十国会で、尾崎咢堂が新憲法の問題のときに考え方を述べて、こういうふうにおっしゃっております。明治維新をなし遂げた人たち、指導者たちは、二十代、三十代の人であった、見識があったわけではない、広い知識を持っているわけではない、ただ、国家を背負って立つ気概と抱負を持っていたから、明治の維新というものがなし遂げることができたということでございます。
四十万食の乾パンを出したということでありましたけれども、これは、協会は尾崎咢堂がつくられた、安倍晋太郎先生、椎名さん、稲山さん、綿貫さんと、大変な協会なんです。これは、向こうから見たら国の機関と見ますよね。となれば、先ほど言った、独自の日本のやり方ということで、一つのアピールをしているんじゃないか、日本外交協会の今回の、これは十一月ですからね。
ここに至って想起することは、憲政の神様と言われた尾崎咢堂先生の生き様であります。先生の生涯をかけた努力は、憲政の樹立と政党の組織訓練でありましたが、軍国主義の思潮の渦巻く中で、もはやその実現がかないそうもない情勢となって、先生は、自分は「一生を無駄に過ごしてしまった」と痛く煩悶します。そして、煩悶の末に先生が得た結論は、「昨日までの仕事は、すべて、今日以後の準備行動にすぎない。
憲政の神様と言われた尾崎咢堂は、かつて、ろくに審議もせず、数を頼りに悪法を通していく議会のあり方を嘆き、「議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である」と皮肉っています。残念ながら、今の国会の実態も同様ではないでしょうか。 通常国会の会期は、国会法により、百五十日間と定められています。
これは私、この間ひっくり返して読んでいたら、尾崎咢堂が、大正十四年ですか、国会の質問の中で、軍がどんなに軍事機密費を使ったかという大演説をやっている中で、例えばシベリア出兵でも二千万円の機密費がシベリアの無人の地に使われて、捨てられてしまったと同じになったと言っているんですね。二千万円というと大体五百億ですね、今の換算でいうと。そんな軍事費を使いながら戦前はやっていたわけですね。
尾崎咢堂が、戦前の機密費自体を問題にした。私は、やはり尾崎さんだけのことはある。詳細に軍事機密費を調べて、そして根拠を挙げて、飲み食いに使っているじゃないか。この問題で、そんなことはないんだと言うのは素人だと言っています。私は、やはり尾崎さんの伝統を受け継がなきゃいかぬ。これは国会、国民の前に全部明らかにしなければならない。
今、尾崎咢堂さんの演説の一部を紹介いたしましたが、戦前の会計検査院法二十三条は「政府ノ機密費ニ関ル計算ハ会計検査院ニ於テ検査ヲ行フ限ニ在ラス」として、機密費は会計検査の対象から除外をしておりました。ところが、憲法九十条は「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、」となっている。戦前のように機密費扱いはできなくなったのですね。
御紹介したいと思いますのは、戦前、尾崎咢堂がこれを追及しているんですよ。そして、なかなかこれは詳細に軍の使っている機密費その他を調べたわけですよ。こういうことを言っている。
一つは、ちょっと見にくいかもしれませんけれども、金森徳次郎序で「新憲法の意義と解説」、この金森徳次郎序という、その隣が、ちょっと消えておりますが、尾崎咢堂序ということになっております。もう一つは、文芸春秋で、佐野学さんの「新憲法批判」という論文であります。それからもう一つは、滝川事件で有名な滝川幸辰、何かユキトキというんですか、そういうのが本当の名前のようですけれども、いわゆる滝川事件で有名な。
大日本帝国議会で尾崎咢堂先生が、「玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸にかえて」と時の政府を弾劾したことがありました。 天皇の命という言葉を使って言論を封じ、戦争への道を突き進んだものと言わなければなりません。君が代が日本の軍国化と国民支配のために使われた事実は何人も否定できません。
憲政の神様との異名を持つ尾崎咢堂翁は、議会は打ち解けて国家全体のために懇談熟議すべき場所である。討論ではない、懇談熟議、お互いに譲り、力を合わせて国家全体の利益を図らなければならないと喝破し、目先の利害に走る小政治的政党政治に警鐘を鳴らしております。そのためにも、今回の法案が小政治に翻弄されることなく速やかに成立することを願い、私の質問を終わります。
さて、大正十四年、すなわち一九二五年、本院の大先達である尾崎咢堂翁は、その著書「政治読本」の中で、次のように述べておられます。 世界はすでに共存共栄の有機的関係に進みつつあるのに、我が国だけが依然としてただ目先の利己的損得を目安とする排他的鎖国思想を持って、国際経済及び国際政治に臨むから、どうしても列国と歩調が合わず、世界の嫌われ者となるのである。
さぞや、この連立内閣に対して、憲政の神様でああります尾崎咢堂翁も本院の玄関から、連立政権よくやった、善哉、善哉、あっばれ、あっぱれと、賛辞を送っているのではないかと私は確信をする次第でございます。 しかし反面、国民の皆さん方はこの連立政治のよさというものをどの程度理解していただいているのか、私は疑問に思う次第であります。