1997-06-03 第140回国会 参議院 文教委員会 第15号
そういう点で、一般にうまくやっているところも多いわけでありますが、間々、教授の私的な判断あるいは少数集団による判断、これが間違うこともあるわけでございます。
そういう点で、一般にうまくやっているところも多いわけでありますが、間々、教授の私的な判断あるいは少数集団による判断、これが間違うこともあるわけでございます。
○政府委員(中平立君) 五十五年に報告を出しましたときは、今御説明いたしましたように、歴史的、社会的、文化的観点、これは二十七条には出ていない表現でございますけれども、そういう観点から他と明確に区別し得る少数集団というものである、こういう解釈をとったわけでございますが、これは人権規約を作成するに当たりまして「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において」という意味の解釈に関連いたしまして、その
すなわち、同和問題は、日本民族、月本国民のなかの身分的差別をうける少数集団の問題である。」というようなことから始まりまして、いろいろ書いてございますが、私は過去においてその職業がどうであったとか、系統といいますか、系図というか、系図がどうであったとか、そういうようなことは私は論ずべき問題ではないのじゃないかと、基本的に。
「すなわち、同和問題は、日本民族、日本国民のなかの身分的差別をうける少数集団の問題である。」こういうように明確にうたわれておるわけでありまして、これは私は同和問題のイロハの問題であると思うのです。
そういう意味では、現代においてはそういう問題が起こると必ずその当事者は少数集団、全体から見ればマイノリティーになりがちだ、こういうことが起こってまいります。 たとえば先ほどごみの例で、ごみの焼却工場をつくるということに反対する人はだれもおりませんけれども、自分のうちの隣につくるといわれたら、これはもう反対するのは当然であります。
したがって、学生の少数の、ほんのわずかの一握りの少数集団であるはね上がり的な三派全学連の暴力行為というものが、意外に国民の父兄の間にいろいろな意味における影響を与えていることは事実であります。