1979-03-16 第87回国会 衆議院 本会議 第15号 当時、日本全体が前近代的社会経済体質のもとにあり、社会的公正の精神に乏しく、多数国民が貧困のままに放置せられていた当時のこととて、鬼塚村では全村一人の中学への通学者もおらない実情であって、志を持って東京へ出た少年保利君が、形容もできない苦労を重ねられたことは申すまでもなく、後年、人の問いに答えて、地をはうような苦労をしたと語っていることを見ても、ひたむきに生きてきた、その苦労が保利君の身にしみ込んで 三宅正一