1948-04-14 第2回国会 参議院 本会議 第32号
次に、昭和二十一年三月、総司令部から農林省に向つて、米を潰して酒を、造ることは止したらどうだ、アメリカでさえ小麦節約をしておるのだからという申入れがあつたとき、政府は、増産督励用として造ると申し、当時の平野農林大臣は、盛にこれを特配しました。その頃の朝日新聞「天声人語」の一部を読みますと、供出量により、一斗を超え平均三升から五升ぐらいで、旧盆にはどつと一度に配給され、十日以内に腐つた。
次に、昭和二十一年三月、総司令部から農林省に向つて、米を潰して酒を、造ることは止したらどうだ、アメリカでさえ小麦節約をしておるのだからという申入れがあつたとき、政府は、増産督励用として造ると申し、当時の平野農林大臣は、盛にこれを特配しました。その頃の朝日新聞「天声人語」の一部を読みますと、供出量により、一斗を超え平均三升から五升ぐらいで、旧盆にはどつと一度に配給され、十日以内に腐つた。
ここで政府が司令部からの「主食を潰して酒を造ることは止したらどうかアメリカでさえビール醸造を削減して小麦節約に努めているのだから」という申入れを政府が聽き入れて、米に換算しまして百八十五万石をそのまま配給しますなら、お乳の足らん赤ん坊もお米の重湯が飲めます。泣く子供等を残して闇買出しに出掛けましたが、三拜九拜の歎願の効もなく、力なく帰つて來る痩せた母親たちの様々の哀れな姿を見ます。