2011-03-30 第177回国会 衆議院 法務委員会 第4号
リーダーですから、機動隊の小隊長じゃないんですから、飛び回っていてはだめなんです。 それで、国会の答弁では、何か勉強のために福島原発にすぐ翌日行かれたと言われたことが出ていますけれども、勉強のために最高責任者が、現場が大混乱しているときに行かれてはたまったものじゃない。 そして、人事も次から次に小出しに出てきますけれども、この人事も私はどうかなという感じがしているんです。
リーダーですから、機動隊の小隊長じゃないんですから、飛び回っていてはだめなんです。 それで、国会の答弁では、何か勉強のために福島原発にすぐ翌日行かれたと言われたことが出ていますけれども、勉強のために最高責任者が、現場が大混乱しているときに行かれてはたまったものじゃない。 そして、人事も次から次に小出しに出てきますけれども、この人事も私はどうかなという感じがしているんです。
そうなりますと、お医者さんがそれに約十名おられまして、百七十六人の方が看護士さん、あるいはこういった、移動して回る病院でございますから、通信隊あるいは管理、整備班だとか、そういったことで、まあ治療小隊といたしまして二十五人、こういうのが四つあるそうでございますが、一人の小隊長がお医者さんでもう一人お医者さん、二十五人にお医者さんが二人ですね、二十五人に二十三人は医者でない人がおって支援をしていただかないと
私は、第二次世界大戦のときには青年時代でございましたが、学校を卒業して、正規のいわゆる初年兵として入隊をし、幹部候補生として教育を受け、将校になるやフィリピン戦線に小隊長として、さらに、一たん召集解除になって帰りましたら息もつかせず再び召集になって、今度は中支に中隊長として参りました。
さんはいろいろ請願書の中でも、これと香港のいわゆる戦務加算の甲、一月を三カ月プラスをするという——戦死者の数と対比をして、あるいは九竜半島の戦闘の状況と対比をして、あるいはシンガポールその他の状況と対比をして、この時期の戦闘というものについては当然、香港の戦闘と比べてもはるかに大きな犠牲を出した作戦であったし、これは戦務加算の甲に値するということで強く望まれておるわけでありまして、私自身フィリピンの小隊長
御案内のとおり、私は大東亜戦争の開始とともにフィリピンの戦線に小隊長として郷土部隊で参ったわけでございますが、台湾人元日本兵というのはフィリピンが非常に多かったわけでございます。フィリピン以外ではニューギニアが多かったと言われております。
ところが、この新聞記事によりますと、自衛隊の幹部は全く知らない、本当に小隊長の独断でやったというように書かれておるわけなんですが、もしこういうことが本当とするならば、幹部の知らないところでもって小隊長クラス、ここでは二尉でございますけれども、二尉クラスの判断でもって何でもできるということを我々は考えてしまうわけでございまして、あちこちで極めてずさんなことがよく言われておりますけれども、また始まったかなという
私の父の場合は将校でございましたから、当然小隊長、中隊長と言われたことも子供心に覚えておりますから、そういうときにどういう判断をしてきたのかなということを、やはり自分の心の中に痛みを感じます。
○和泉照雄君 小隊長と班長とはF2という無線機で交信をしておるようですね。F1はその班長と組長、組長は小銃士を指揮をしておる五名、それからMG——機関銃の五名指揮しておる組長が二人おるわけです。その方々が持っておるわけで、二十二万円になりますと二億二千万円になろうかと思いますが、これはあなたの方の実際使っておる人が言うんですから、必要ないんだと、これは。
この指揮官の持ち方は、最高指揮官は必ずしも持つ必要はありませんから、主として現場の大隊長つまり機動隊長以下の幹部が、隊長が持つか、中隊長が持つか、さらに小隊長、分隊長、どの辺が持つかというのは、その予測される事態に応じて警備会議において指示をするということでありますので、警備実施の際の機動隊の部隊活動のときに、機動隊は全く拳銃を持たないということではございません。
私、五十四歳ですけれども、もう私の年で第一線の小隊長をやらされるなんて、それは大変な——これはゴルフやっているわけじゃないんですから、有事の場合に本当にやれるかどうかというようなことがございます。
ですから、最高指揮官まで含まれるのではないかと思いますが、いまのお話のように、法律解釈上はそうでありましても、この辺の規定は、実際に指揮をとる連隊長とか中隊長とか小隊長あたり、その辺を念頭に置いて書いている規定だろうと思います。
「四十五キロの行軍のあげく、ニキロ駈けつづけ、陣地攻撃を展開する戦闘訓練に、なかなか立派な小隊長ぶりを見せた。」といっているが、こういう訓練をいままでやられている。こういう形で、盾の会の、いわば彼自身が言っているような私兵ですね、それの訓練の場、それを自衛隊は広報活動として提供してきたという事実があるわけです。そういう中で小銃訓練というものも出てきた。
大尉がかりに小隊長といたしますね、それからいまの一曹というのがかりに班長といたしますね、そうすると准尉というのはどういうふうに置かれるのですか、何か何人かの班長を指揮して、そして小隊長のもちろん下でしょう。何かそこら辺のところが私は機能的に一つはわからないということ。それから御説明では幹部だと、こういうことですね。
全員がいわゆる東門の正門に対峙いたしまして、そこで準備をいたしました大だては——いま県警は八十三の大だてを保有しておりますが、全体で五百五十名の正規部隊を編成しまして、おおむねそれに案分をいたしたわけでございまして、第二中隊の第一小隊はおそらく七、八つのたてを持っておったと思いますが、それで前面に向かって投石を防ぎながら実は横ばいで部隊の移動をしたわけでございますけれども、たまたま有本警部補は職務が小隊長伝令兼記録係
前回も申し上げましたように、事故の発生によりまして、機動隊の小隊長ほか十名と、同隊所属の車両二台及び千葉市消防救急車一台の応援を得まして、負傷を受けました園児を千葉市の千葉国立病院に収容いたしまして、救護に当たったわけでございますが、被害を受けました園児は六名でございまして、いずれも、そのうちの地挽一元君、五歳、この園児を除きましては、他の五名は、幸いなことに五日ないし六日程度の打撲傷あるいは擦過傷
念のために伺いたいのですが、大体パイロットを一人前のパイロットにするのにどのくらいの時間がかかるか、あるいは一人前の艦長をつくるのにどれくらいかかるか、それから小隊長や中隊長を、一人前の役に立つほんとうに国民から信頼される中隊長や小隊長をつくるのにどれくらいかかるか、こういう問題がよく了解されていれば、これは協力してこういう問題は一年おくれるということがなしに通過して、そうしてわが国の大事な自衛力を
それから小隊長もばかなんだ。もうそういう軍隊は敗戦にきまっている。私が中隊長になれば必ず勝ったんだ。それと同じ現象があるんですよ、あなたのほうには。だから、お話はわかったが、そしてお認めのようだから、それならば必ず有能な人がいるから、私が推薦するから、今年からでも来年からでも、五人のうち──大体、検事を充てることができるということになっているんだ。
本部付にするというようなことになれば、これは栄転じゃないですか、現場の小隊長が本部付になるというのは栄転じゃないですか。
これは、整備の小隊長がこれを見まして、きょうは予定にないのだが、どうしたんだということは聞いております。そのときに、実はこれは少し雨に打たれておるので、少し日に当てよう、風に当てよう、ちょっと手を入れるところがありますのでというようなことで、そうかということで、小隊長は一応承認をしたというようなことになっております。
ただ、当日そのT33練習機を整備するかしないかという問題につきましては、当日の整備計画日程表にはなかったのでありまして、たまたま本人がそれを引き出しておるのを当日一緒におりました整備の小隊長——上官がそれを認めまして、これはどうしたんだ、いやここのところちょっと直さなければ工合が悪い、じゃあよかろうということで、その整備ということで所属の小隊長から許可を受けた、承認を受けたというような形でその手当をしておったわけでございます
それから監督者につきましては、面接の上級者である整備小隊長並びにその上におる第七飛行隊長、さらに航空団の司令、この三名に対しまして、減給処分をまず行ないました。整備小隊長と飛行隊長はさらに転勤、また航空団司令は引責退職という手続をとりました。以上であります。
この場合に三尉の一号といいますものは、大体小隊長としての資格をもちまして、多くて百五、六十人、少なくて五十人以上の長として仕事をするという考え方、公安(一)の方におきまして、一年たちました場合の見習いとしてそれぞれの官署におります場合の態様を考えますと、私の方といたしましては、必ずしも五十人なり、多くて百五十人ぐらいの長になります小隊長としての三尉の初号は、あながち高過ぎる、過ぎるというほどまでは言