これは厚生労働省の正門の前、菅直人大臣のときにお話しして構想されまして、小泉純一郎大臣が決断されまして、そして宮下創平大臣が除幕したという、言わばここにおられる先生方の党、もう党を超えたそういう人たち、大臣と一緒に話し合ってやっと建立されたわけであります。 限られた時間ですけど、この碑文は読ませていただきます。
そのときの郵政大臣であった小泉純一郎大臣は、PKOでは血を流してまで貢献しろとはなっていない、こういう発言をされている。
○佐藤(公)委員 平成八年、菅大臣、小泉純一郎大臣、平成九年も小泉純一郎大臣、そしてそのときの政務次官は鈴木委員長だった。そして、もうついこの前ですけれども、福島委員も政務次官をやられていた。 僕が言いたいのは、この人たちがどうのこうのというふうに責任をと言うつもりは今ありません。