2009-11-26 第173回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
この防衛大学がどういう形でできたかといえば、米軍から、幹部自衛官、当時は自衛官ではありませんが、幹部の軍人を育てる学校をつくれと言われて、吉田総理が悩んだ末に小泉信三さんに相談をして、これに値する人材を紹介してくれ、こう言われて、槇校長が初代校長になったというふうにお聞きをしております。
この防衛大学がどういう形でできたかといえば、米軍から、幹部自衛官、当時は自衛官ではありませんが、幹部の軍人を育てる学校をつくれと言われて、吉田総理が悩んだ末に小泉信三さんに相談をして、これに値する人材を紹介してくれ、こう言われて、槇校長が初代校長になったというふうにお聞きをしております。
なおまた、槇校長がなぜ初代の校長になったかというのは、御存じだと思いますが、吉田茂総理が幹部学校をつくりたいと小泉信三先生に依頼をして人選をしていただいたと、その結果、槇先生がなられた。 そこで、吉田茂総理が一番のポイントは何だと、こう言ったら、戦前の軍部の横暴、そういうものの反省の中から、独断専行、下克上、これを徹底的になからしめるように教えていただきたいと、こういうことであります。
これは、私ども慶応に学んだ者はほぼ全員が、恐らく委員も、また総理も皆、この池田潔先生の、小泉信三先生の言葉を引いた、自由と規律、自由には必ずそれに伴い責任が生じるものである、自由と責任は表裏一体であって責任のない自由というのはないのだ、それはわがままであるということを我々学んできたはずでございますから、その御指摘についても同感でございます。
また、この本の序文は小泉信三先生が記されています。昭和二十四年という昔に出版されたものであるんですけれども、大変みずみずしく、またおもしろく、得るところの多い書物であります。 富国有徳という言葉がありますが、これもまた、人と同じように、国も紳士であれという教訓の言葉だと思います。
この福沢諭吉の「帝室論」でありますが、これも興味深いことでありますが、今上天皇が皇太子の時代に小泉信三から帝王教育を受けますが、その際に二人で御一緒に輪読した本の一つがこの福沢諭吉の「帝室論」であるということであります。したがって、戦後の新しい帝王学、帝王教育は、この「帝室論」あるいはバジョットの「イギリス憲政論」、こういったところが下敷きであるという点であります。
小泉信三先生の言葉に「真珠の価値はむなし。されど水にくぐる人の労苦はとうとし」、こういう言葉があります。まさに郵政の職員は一致協力、さきの阪神・淡路大震災の被災を皆さんみずから受けながらも、今御指摘がありましたように、六十一万個の救助用物資を届ける。瓦れきの間を走る赤い郵便バイクを見て、一般の被災者の方々が勇気づけられた、こういう声もあるわけなのです。
しかし、現皇后のあの御成婚の前に、私も新聞記者でまさにお妃班というものに属してやっていたときに、小泉信三さんとか入江侍従長とかいう方々が大変、初めてのことでありますから、新しい制度の天皇制の中での初めてのことですから非常に苦慮をされて、そして結果的に今の皇后に決まられたという経緯を考えますと、それだけの大変な御苦労があっだろうと思います、新しい皇室のあり方ということについて。
かつては小泉信三さん、私、小泉信三さんを必ずしもいいとは思っておりませんけれども、代々、昭和、大正のころは元老的な存在が、恐らくそれなりのアドバイスをされてこられたと思います。
皇太子殿下の際にはいろいろ小泉信三が動いたとか、あるいは田島、宇佐美長官の前任者がいろいろ動いたという話も世上伝えられておりますけれども、いろいろの経緯を経て現在の皇太子殿下御夫妻が誕生したというわけでございます。そのときに、老齢の者にとってはどっちかというとショックだったという人もいるようでございます。しかし、私は皇太子殿下の御結婚は国民がもろ手を挙げて歓迎したという御結婚かと思っております。
時間もありませんから余り余分なことは言いませんけれども、今の皇太子妃が皇太子にお嫁入りになるときに、皇族会議の中で、小泉信三さんも含めて、聖心がカトリック教の教会で、皇太子妃になる方がカトリック教の洗礼でもお受けになったんじゃないのかというようなことが一つ問題になったということも私はひそかに聞いております。それはやはり皇室の宗教と相反する一つの宗教になりますものですから。
○説明員(宇佐美毅君) 皇太子殿下の小泉信三先生という関係から、すべて小泉先生が、何と申しますか、代表するようなお話になるわけでありますが、しかしまあ、いろいろ学者もございますが、すべてのことについて満点という方も少ないわけで、それぞれ特徴ある研究をしていらっしゃいます。一人だけでいいとも私は思いません。ですから、非常にバランスのとれた御勉強をしていただきたいと、かように思います。
かつては小泉信三教授という存在が皇太子の身辺にあった。今後、浩宮の場合にそういうふうなことをすでに考慮されているんでしょうか。
慶大塾 長だった小泉信三氏にひけはとらない。 「東宮職参与」どころか次期宮内庁長官の声 も出るほど評判のよい永井さん。 「大臣が所轄事項を陛下にご報告する『上奏 』などでよく宮内庁へ来ています。スマートで すし、野党からも悪口のない人ですから」(宮 内庁筋) こういう記事が出ているわけです。 これを知ってか知らずか、うわさされた衆議院選挙出馬は早い段階で消えている。
小泉信三、長谷川如是閑、馬場恒吾、鈴木文史朗、信時潔という音楽家、それから西田幾多郎、それから小説家は武者小路、志賀直哉、広津和郎、正宗白鳥というような超一流の人が呼ばれているのです。 それで広津さんは水交社へ行った。
まあこういう点、ここで申し上げることもできませんが、私といたしましても、小泉信三博士なんかが御生存のときもよく来られて、十年後の皇室をどうするかとか言って意見を聞きに来られまして、私は逆に先生の御意見を聞きたかったわけでありますが、そういうようなことは常に頭にございますが、理論的に、あるいはいま申しましたような全国民の生活あるいは思想に影響するような問題に触れて行うということは、なかなかむずかしい現状
私はこういう方が小泉信三先生が云云ということではないんですけれども、私はそういった広い視野からでのやはり選考できるような一つの、たまたま大臣がおっしゃるというようなことでなくて、この基礎はここの二十九年にあるわけですから、これをもう少し、あまり細分化するとまた私は弊害もあると思いますけれども、ここらあたりでやはり基準、こういったものをきめておかれることが必要ではなかろうかという気がするのですけれどもどうでしょう
特に大臣の御指示もございまして、適当な教育者が文化功労者に含まれますように、昨年の功労者審査会におきましても事務次官から特にその点に言及をいたしまして、文化功労者には教育関係の功労者も含まれるんだ、そういう前提で御選考を願いたいということを特に申し上げておる次第でございますが、その結果、というわけでもございませんが、従来の選考の例から申しますと、小泉信三先生、天野貞祐先生、高橋誠一郎先生、麻生磯次先生
槇さんは小泉信三先生が吉田総理に推薦した方であって、非常にりっぱな方です。いま卒業生が集まって、槙先生の話をし、この間も胸像の除幕式を何か卒業生が金を出し合ってやっておる。これはやはり損さんの思想が防大生にしみついていると思うのです。そういう防大生の思想が、昔の下士官とか、あるいはいまの士長以下に教育でずっと流れつつある。
故小泉信三先生が「秩序ある進歩」ということばを前の反安保騒動のときに言ったけれども、ああいうときに、秩序を守る警察官を攻撃することによってヒロイズムを感ずるような風潮があってはいけない、こういうことを小泉信三先生が「秩序ある進歩」ということばの中に書かれておりますけれども、この佐世保事件の際に、議会政治を与党、野党通じて——野党の第一党として守る社会党が、このように朝日新聞の記者の見方によって書かれるということは
そうして二十五万の自衛隊員をりっぱな、民主主義を守る、自由をとうとび民主主義を守るわが国の自衛官にふさわしい幹部要員にしょうと、こういうことでございまするが、特に保安大学、防衛大学が創設された当時は、なき吉田先生が非常に力を入れられまして、校長には特別にりっぱな人をということで、小泉信三先生をわずらわしまして、損先生というりっぱな方が十年間大学の校長でございました。
たとえば経済学者、経済学関係なんかでいったら小泉信三さんだとか、それから高橋誠一郎さんぐらいなものですね。私たち、社会科学の方面が、他の面に比べて非常におくれているとか、劣っているとかいうようには思わん。それからまた、外国の社会科学の水準と比べて、日本の社会科学が非常に幼稚だとも思わない。
この前皇太子殿下の場合におきましては、これはちょうど御婚約の発表が十一月ですが、その年の四、五月ごろから、いろいろ各社の方でも、これはやはり協定をして、発表まで書かない方がいいんじゃなかろうかという御意向が強くありまして、それを受けて、その当時小泉信三さんがいろいろ各社とも話をされて、そして自主的な、そういう記事は発表まで書かないという協定ができたのであります。これは新聞社の方であります。
二、三日前に、これはわしの先生やが、小泉信三先生——武見君も弟子や。この小泉信荘先生が、「言論の自由とその自制」という論文を書いていられる。私はこの際、総理が、こういう去年からハガチー等々。羽田のあの事件。アイク訪日中止。浅沼さんああいう目に会った。津さんもそうや。それから河上さんも。そうして、山口二矢、また今度。
あなたは皇太子並びに陛下の側近におられるわけでありますから、今後の日本の象徴がどういうふうにして、成長していかれるか、小泉信三博士その他肝胆を砕いて起られるわけであります、その意味では、こういうじみな、つまり日本の歴史、伝統というものをほんとうに皇太子が身につけていただくためには、派手な海外旅行などというものよりも、まず日本国内の重要な地域、都市というものを歴訪されて、しかる後は皇太子にはやはり相当