1961-10-24 第39回国会 参議院 法務委員会 第6号
さらに小森少年が嶋中邸における殺傷事件を実行した。しかし、社会通念かち考えて参りますと、これらの少年諸君の考え方の中からああいう大それた行為がやはり出たものとはなかなか思量しがたい。
さらに小森少年が嶋中邸における殺傷事件を実行した。しかし、社会通念かち考えて参りますと、これらの少年諸君の考え方の中からああいう大それた行為がやはり出たものとはなかなか思量しがたい。
私たちは小森少年の場合は、その行為は憎みますが、何でもかんでもこれをくくろうとは考えていない。典型的な政治テロを、少なくとも、翻するのが目的でなしに、予防するためにこういったきびしい法定刑をもって臨もうということでありまして、非常にまあ厳格にしぼってあるわけでございます。
(拍手)嶋中事件における小森少年は、犯行直後に、頭をまるめて坊主になっておる、坊主にさえなれば罪は許される。殺人行為は許されるのだというような甘い考えを持っておるテロリストもたくさんおるのであります。(拍手)そういう意味で、私は、テロ犯人に対しても極刑の威嚇力は十分あり得ると考えておるのでございます。
小森少年が嶋中家に侵入して夫人に傷を負わせ、お手伝いの婦人を殺害したことは全く許せぬ非行でございますが、そのよって来たるところに深い原因があるということを、この際私ははっきり認識すべきではないかと思うのでございます。
これらのティーン・エージャーのうち、右翼思想にかぶれた者が実に山口二矢少年であり、小森少年でありまして、従って、こんな社会の状態が続いたならば、幾人の山口少年、小森少年が出現するか、予断を許さぬものがあると私は思うのでございます。 しからば、一体なぜ少年たちをして暴力行為を平気の平左でやらせておるのかということについて、私は深く反省をいたしてみたいと思うのでございます。
○坪野委員 この小森少年は嶋中社長を刺殺する目的で侵入したと思うのでありまするが、こういった殺人罪を敢行するに際して、自分も、これを刺し殺した後に、死んで罪の償いをするという決意をもって臨んでいったものかどうか。
○坪野委員 新聞その他で見たのでありまするが、この小森が犯行直後に散髪屋へ行って頭をまるめた、こういうことが出ておりまするが、この小森少年は、こういった大事を敢行した直後に頭をまるめて入道すればそれで罪が許される、こういう意識を持っておるように捜査の結果認められるかどうか、この点をお伺いいたします。
最初に嶋中事件の犯人の小森少年の捜査に関連して、これは警視庁で捜査されたと思うのでありますが、小森少年は、現在嶋中社長夫人あるいはお手伝いのおばさんを刺殺したという事件に対して悔悟の情を漏らしておるかどうか、この点をお伺いいたします。
○三輪政府委員 私がお答えいたしましたのは、「社会党を駁する」というのは、爆撃するのでございませんで、反駁をするということで、先般来の小森事件等につきまして、今回の小森少年のやり方については、右翼団体自体として、ああいう「風流夢譚」というものが出た、その根本にさかのぼらないで、この一つの事件で右翼全般を暴力団視するということに対する不満はあるわけでございますけれども、あの小森少年のやったことを賛成をするというような
例の小森少年の凶行のときに安井英二委員ですか、あの方は事前に何らの連絡を受けないで、知らなかった。それで公安委員長のお話を伺いますと、実はあとで相談をしたのだ。そこが問題になったわけでございます。この前日比谷公会堂へ集まりまして、そこに山口二矢が出てあおられた、それであの凶行があったわけでありますね。
その中身を要約いたしますと、淺沼を刺殺した山口少年は、国民の公憤を代表したものである、それから「風流夢譚」の小森少年は、日本人の義憤を代表したものである、こういうようにこれを賞賛して、卑怯者は国会議員であり、新聞記者であり、自称文化人である。こういう印刷の手紙です。
その諸君も全部逮捕して、そうして腰を落ち着けて本格的な調べをやるべきじゃないか、肝心のものを外においといて、そうして小森少年だけを追及しても、こんなことでは私は世間が要望しておるその要望にもこたえることにならぬと思う。どういうふうにこの点を一体警察当局は考えておるか、明らかにしてほしい。
○政府委員(三輪良雄君) 小森少年の背後関係につきましては、先ほど他の委員の方からのお尋ねもございました。本人は十七歳の少年でございますし、犯行の当日まで愛国党におりました関係もあり、また、この「風流夢譚」の抗議には、常時行っておるということでもあります。そういうことで、その関係について疑いがありますので、捜査をいたすことは厳正に捜査をいたすつもりでございます。
○大森創造君 問題を変えまして、小森少年は二月一日に犯行を犯すその前に赤尾氏と会った。最後の別れを告げたのだろうと思います。調査によってそのときの問答を御存じありませんか。
今回のテロ事件は去る一日の夜行なわれましたが、一月三十日に日比谷公会堂におきまして、今回の中央公論社に対する問題が論議されたと聞き及んでおりまするが、今回の小森少年のこのテロ事件はそれらと何らかの関連があったのかどうか。