1974-05-07 第72回国会 参議院 文教委員会 第11号
その象徴と思われるような事件が最近非常にたくさん出てきておりますが、重症身障者の父といわれておりました島田療育園の小林提樹園長さんがたいへん今日まで努力をして、この心身障害児のまさに救いの主としてたいへん活動されてきたのにやめざるを得なくなった、そういうところまで追い込まれてしまった。
その象徴と思われるような事件が最近非常にたくさん出てきておりますが、重症身障者の父といわれておりました島田療育園の小林提樹園長さんがたいへん今日まで努力をして、この心身障害児のまさに救いの主としてたいへん活動されてきたのにやめざるを得なくなった、そういうところまで追い込まれてしまった。
○参考人(小林提樹君) ただいま小平先生からの御質問がございましたので、申し上げさせていただきますが、この重症児の周辺にあるその中に一つ顕著なのが動く重症児だと思うのです。この子供たちはどれくらいおるかということ、これはちょっと私存じませんが、推定のところは一万人ぐらいは十分おるのじゃないかという気がしますけれども、何もそうはっきりした根拠があるわけではございません。
○参考人(小林提樹君) 大体、私のところが三割空床があるということを申し上げましたが、大体の数字でありまして、正確な数字ではございません。本日、百八十六名入っております。そして、定床は一体どれくらいであるか。これがいま考えておりますのは、二百六十四を定床と考えたい。
増岡 博之君 厚生省環境衛生 局長 浦田 純一君 厚生省児童家庭 局長 穴山 徳夫君 事務局側 常任委員会専門 員 中原 武夫君 説明員 大蔵省主計局主 計官 渡部 周治君 参考人 島田療育園長 小林 提樹
○川崎(秀)分科員 ただいま厚生大臣の御所見を伺いましたのですが、島田療育園の院長の小林提樹さんという人は、このことに生涯を打ち込まれて今日まできておる。昨日お会いしたときに、一番痛切な実例として「順子覚え書き」という、青木龍夫さんというおとうさんが、身体障害者の重症患者の子供を持っておるわけですね。これはまた痛切なものです。