2007-04-17 第166回国会 参議院 経済産業委員会 第8号
小林一三みたいに、クヌギ林番外なんて言わないで花屋敷とか、どぶ池言わないで蛍池とかいって、そういうふうに名前をしゃれた名前に変えていくだけでもいいと思います。 だから、今度の地域資源活性化法案の方は、法律はこういうふうにしっかりできて補助金付いてくるわけです。どういうふうに具体化するかというのは、地元の方で厚かましく法律すれすれのことをやっていけば活性化すると。
小林一三みたいに、クヌギ林番外なんて言わないで花屋敷とか、どぶ池言わないで蛍池とかいって、そういうふうに名前をしゃれた名前に変えていくだけでもいいと思います。 だから、今度の地域資源活性化法案の方は、法律はこういうふうにしっかりできて補助金付いてくるわけです。どういうふうに具体化するかというのは、地元の方で厚かましく法律すれすれのことをやっていけば活性化すると。
小林一三先生が阪急を創設したころに、既に宅地を造成し、あるいは住宅街をこしらえ、あるいはターミナルビルでデパートを開く、いろいろなことをやられました。ですから、何十年も前から鉄道の営業はそういうことをやってきたわけです。ですから、国鉄が民営化すれば当然そのような方向に行くのが正しいあり方だと私どもは考えるわけです。
これは大変なことだと思うのですが、特に、最近のように、相模鉄道さんがはじき出した線路をつくると同時に、周辺地区にすでに買っておいた土地に新しい住宅を建てて、その益金をもってさらにまた延長計画をしようというような、古くは小林一三さんがおやりになったような、あるいは東急がやられたような考え方というのではこれから先の私鉄というものはできないと私は思うのですよ。
そこで、小林一三さんが阪急電鉄の社長として商売繁盛を考えたときに何を考えたかというと、ソーライスはソースをじゃぶじゃぶかけてたちまちにしてソースは空になってしまうから余りもうからないということで、そこで彼は一さら二十銭でうまくて安いというカレーライスを売ることにした。またどんどんお客が来まして、阪急の梅田のカレーライスを食べに行こうというわけで電車に乗ってじゃんじゃん来たんですよ。
先ほど申しましたように、都市計画自体も、初めは後藤新平さんあるいは戦後も小林一三さんという人たちのときには、思い切ったことをやろうという案が必ず出たわけですけれども、それがやはりバラック復興、何しろ早く復興してかせがなければいかぬ、そういう思想に押されて、結局は都市計画も思い切ったことをしないし、不燃建築というのもそれを切りかえられなかったわけですね。
○国務大臣(小坂善太郎君) いろいろお考え、人によってもあるわけだと思いますけれども、たとえば財界の人でありましても、私は、小林一三先生のような方もおられるんで、財界だから金持ちで、ほかのことは知らないというふうにきめつけることもまたいかがと思いますので、何と言いますか、平均して均衡のとれた考え方を持てる人であれば、それこそその人がやるならということで、資金の点も解決するというふうにも思います次第でございまして
○須藤五郎君 いま小林一三の名前を出されましたが、小林一三氏は私も三十年近く一緒に仕事をしてまいった仲でして、かの人物は私はよく知り、私なりに評価はしているつもりなんです。また松永安左衛門さんのような方、あの方も私はりっぱな能力を持った方だと思っています、財界人ではあってもですね。りっぱな能力を持った方だと私は評価をしております。
私も小林一三のころに一緒にお伺いしたことがあるのですが、そこできょうあなたの御意見を伺っていまして、もっともだと思う点もあるわけですが、やはり亜硫酸ガスですね、これを除去するためには私はやはり、公害をなくすためには発生源で食いとめなければいかぬとこういうふうに思うのですが、いま発電所で、発生源で食いとめるとなればやはり重油で脱硫した、要するに硫黄分の少ない重油を使うことと、それから排煙脱硫ですね、この
○国務大臣(原田憲君) 国鉄と私鉄との経営について大きく違う点は、佐藤総理が出席をされたときに——小林一三さんに吉田総理から国鉄経営について相談をしてこいと言われて行った。ところが、あの人は引き受けなかった。というのは、私鉄というものはもうかるところをやっておる。
これは私の考えとお尋ねとやや違うかわかりませんが、私は、政界入りをした当初、吉田内閣時分に、吉田さんが非常に国鉄の民営論者、非常に強い民営論者なのですけれども、そうして、佐藤、おまえは鉄道出身だから、いまの形態をいいように思っているが、どうして民営ということを考えないのか、ひとつ小林一三君のところに行って考えを聞いてこい、こう言われたことがあります。
だから私鉄というものも、小林一三という人が私鉄を経営したときに、かつて世界にない私鉄経営というものを編み出したわけですね。いまは、それをみなまねをしておる。その時分にはどう言ったか。だめだ、そんなところへ線を引っぱって何になる、こう言ったものです。だから、先ほど言いましたように、人間の知識がどこまで進んでいくかわからぬ。
大臣がお住まいの池田−大阪の距離と、それからたとえば枚方から大阪までの距離はほとんど同じでございますが、そういう意味からいいますと、大阪にとりまして、住宅地としてもあるいは経済的な用地といたしましても、同等の価値があるべき土地でございますけれども、一方は私鉄で、しかも小林一三さんのようなすばらしい経営者がおられたために、あれだけのすばらしい発展を遂げております。
これは大臣の御地元でございますので、よくおわかりだと思いますが、地元の気持ちといたしましては、私が指摘しましたように、もし私鉄、特に大臣の御縁故の小林一三さんあたりのようなすばらしい経営者がおられたら、何十年も前に文句なしに阪急沿線並みに発達しただろう。国鉄なるがゆえに取り残されたということは、住民のいなめない感情だろうと思います。それだけに、こういうことも場合によったらお考えいただきたい。
と申しますのは、私事にわたって恐縮でございますが、私の青年時代の思い出でございますが、学校を出まして、やがて東京電燈の郷会長の調査秘書になりまして、次には小林一三氏、平生釟三郎氏の調査秘書をいたしておりました。当時としては電力のことをやや深く存じておりました。戦争が済みまして、日本が廃墟になりましたときに、日本は海の国でございますから、原料を輸入し、製品を輸出する。
私は、昔、宝塚-大阪間の私鉄を始めた小林一三さん、あの方が、最初に大阪から宝塚までの小さな電車を走らしたときに、絶えず自分は立って、そうして運転手、車掌のサービスぶりを見て、それから会社に出勤して、きょうの様子についていろいろと批判をしたという話を聞いている。やはり総裁は、そのような点については、こまかい行き渡った監督、監視は、必要だろうと思う。
ところが、小林一三さんに話をしたところが、これはどうしてもやらなければいかぬよ、おれたちは応援するから、ひとつ君、立案したまえというので、私は日興証券の社長遠山元一氏のところに参りまして、増資をしても二割も払い込みがないということであるが、あなたと私が主になって払い込みを完了しようではないかと願いましたところが、よろしい、できるだけ応援をしましようということで、東京財界の大方の方々を歴訪いたしまして
知らぬことをいいことにして、小林一三は、宝塚の女の子を安い給料で、電話の交換手さんと同じような給料で、それで女の子を使ってぼろもうけしていたのですよ。NHKも同じでんのことをやっているように私は思うのですよ。そこが芸術家の弱点であると同時に、大きな欠点ですがね。それを逆手にしないで、みんなが公表しても恥ずかしくないだけの給料を払ってくださいよ。
いつも自宅から役所へ自動車で乗り歩いてるから何もおわかりにならないんですが、私は小林一三さんの作った京阪神急行の沿線に住んでるんですよ。豊中という所に住んでるんですが、大阪へ出るのに毎日電車へ乗るわけです。これはもう実に殺人的な混雑を来たすんです。運賃が値上がりしたからといって、この殺人的な混雑は少しも解消されないんですよ。同じなんです。もう飽和状態に入ってるわけですね。
私が久保さんに言っているのは、総合的な開発、たとえばああいうような開発について、国際観光的な大きな総合的な問題について独占性があるという議論があって、そこでその点について、たとえば自動車関係あるいは建設省関係あるいは厚生省関係、そういうものが総合的に一つのものを立つべきであるということを私は述べたのだが、たとえば関西の小林一三が地方を開発する、鉄道を敷いて開発をする、もちろん採算が合うから開発するのでしょうけれども
そういうようなことについて堪能なる人に会いたいというダレスの希望でありますから、経済について精通をしておる人、日本の立ち直りについて識見のある人を考えまして、高碕達之助君、小林一三君、石橋湛山君、そういうような日本の再建について識見のある人に対して行ってくれということを私から頼みまして、皆と一緒に行って、皆さんがダレスと話をしたのであります。
○八木幸吉君 許可認可事業の問題ですが、曾つて小林一三氏が通産大臣か商工大臣かをしておつたときに、許可を申請して一カ月返事がなかつたら許可になつたものとみなして、工事でも何でも着手したらいいということをたしか通達したように記憶しておりますが、今でもそういう取扱が残つておりますか。
東実というのは、たとえ小林一三が社長であるけれども、あれは前科者なんだよ、実際。これは片がついているか。片がついていないとすれば十四条適用はやつて行かなければならんが、やつて行けるかどうか。これをはつきり伺いたい。