1971-07-24 第66回国会 参議院 公害対策特別委員会 第2号
、これは原告の小松みよさんなどの闘病の生活記録を見ればきわめて明瞭です。 二点として、「対照地域として調査した他の水系及びその流域ではカドミウムによる環境汚染や本病の発生は認められず、本病の発生は神通川流域の上記の地域にのみ限られている。」
、これは原告の小松みよさんなどの闘病の生活記録を見ればきわめて明瞭です。 二点として、「対照地域として調査した他の水系及びその流域ではカドミウムによる環境汚染や本病の発生は認められず、本病の発生は神通川流域の上記の地域にのみ限られている。」
私は小松みよさんに一番最初に会ったのは四十二年の春でしたが、その時分はまだ動けなかった。それがやっと当時のあそこの開業医の萩野さんによっていろいろ治療して、やっと歩けるようになった。そうして厚生省、通産省にまで陳情に来たわけですよ。そういった状態をお考えになったときに——まあ、裁判に対して口出しはできぬのはわかります。
私も小松みよさんには三度会っております。背が三十センチ縮んだとおっしゃっている。これはさっき六カ所、七カ所という話ですが、一人の人で七十一カ所骨の折れておる人がある。裁判が始まってから三年百日余りですが、その間に二十一名死亡しておる。公害病と断定されて以後、たぶんこれはその原因ではないかということが発見されてから今日まで、二百二十名の余死んでおります。
四日、五日の衆議院連合審査会を傍聴し、がっかりして帰った富山の小松みよさん、約四十年イタイイタイ病と戦い、夫婦の生活を断絶し、病気と貧乏と戦い、身長約三十センチ縮小した不自由なからだを東京に運び、むなしい思いで帰郷されたと伝えられているのであります。
四日、五日の衆議院の連合審査を傍聴し、がっかりして帰った富山の小松みよさん、約四十年イタイイタイ病と戦い、夫婦の生活を断絶し、病気と貧乏と戦い、身長約三十センチ縮小した不自由な身体を東京に運び、むなしい思いで帰郷されたと伝えられているのであります。
小松みよさんをめぐる問題ということで、私の質問をその問題に限って、一応終止符を打っておきたいと思います。 次に、三番目の問題として、通産省を中心として公害行政についての質問を続けていきたいと思います。これは、すでに公害対策特別委員会で、私再三実情を訴えて、また通産省などの反応を見、今日まで進んできたのでありますから、新しい問題ではありません。
〔委員長退席、理事鬼丸勝之君着席〕 次に、先般の連合審査の委員会のときにも時間がございませんので、ちょっぴり洩らしましたが、四日、五日の衆議院の連合審査委員会の席上、傍聴席に私の県のイタイイタイ病患者小松みよさんが実は出席していたことを後ほどテレビ、新聞等で私承知いたしまして、非常に内心今期国会に対する取り組みについて激しい強い激励を受けたようにも思いますし、重い重い責任を実は感じているわけです。
時間もありませんから簡単に一、二の例を申し上げますと、これは富山県の一婦人のことばでありますが、「私はイタイイタイ病で歩くことも動くこともできない富山県の一主婦小松みよです。清らかな神通川の水をすくって農事の疲れをいやした十四年前のことは夢のようです。いまから思えばそれは地獄の水でした。私はその水の中に含まれていたカドミウムにおかされてしまったのです。
これは、昭和四十三年五月二十五日、富山地方裁判所で聞かれたイタイイタイ病訴訟に出廷した小松みよさんの陳述の一節です。私たちはまた、熊本、新潟の水俣病被害者や家族が、加害者である新日本窒素や昭和電工をのろう叫びをそのまくら元で涙を押えて聞いてきました。四日市の病院でも、硫黄酸化物のガスに胸をおかされた人々のぜんそくの発作を目のあたり見て胸が詰まりました。