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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-08-06 第96回国会 衆議院 文教委員会 第19号

小川平吉関係文書所収昭和十三年四月十八日日記、こういう御尊父の日記まできちんと使って、そのほかに文献たくさん出ておるのですが、その中で南京大虐殺の事実を執筆者は明らかにしています。それが変えられるのですね。  小川さんも中国のことをよく御承知でしょうけれども、私もかつて中国へ参りましたときに、北京の軍事博物館は日本人になるべく見せないようにしているのですね。

山原健二郎

1963-06-06 第43回国会 衆議院 法務委員会 第20号

たとえば衆議院議員先輩である大竹貫一小川平吉日露戦争直後の日比谷における国民大会事件、ああいうものは第一審で無罪になって確定してしまった。社会主義者事件でも無罪事件がだいぶあるわけであります。そういうような点から見て、当時においても当然無罪にすべき事件であった。まして今日においておやというような確信を私は持っております。  

森長英三郎

1954-12-02 第20回国会 衆議院 予算委員会 第1号

汚職事件はもとより純減すべきことではありますが、明治以来わが国の国会にも前例のなかったことではないのでありまして、たとえば松島事件における箕浦勝人氏であるとか、あるいは帝人事件三土忠造氏であるとか、鉄道疑獄事件小川平吉氏であるとかいうような有名なる政界人がこれらにかかったことは、古い例をあげずとも明らかであります。

川崎秀二

1954-03-30 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第15号

つて小川平吉さんの事件承知しておるし、内田信也さんのときも承知しておりますが、人的証拠を持つておるというようなことを聞いたことはかつてないのであります。ところが、今回は、この問題を中心に世間の批判を買つたのでありますが、私は、この人的証拠なんという問題がはつきり言われることは、どこかにこの根拠がなくちやならぬと思う。

中野四郎

1954-02-26 第19回国会 衆議院 地方行政委員会 第18号

そうして例の昭和疑獄、勲章を売るような者が出て来たり、あるいは例の五私鉄事件といつて五つの私鉄買収あるいは設置について、時の鉄道大臣小川平吉これは自由党の前身の政友会の人であります。それから小橋一太という文部大臣、これは政友本党の人であります。そのようなそうそうたる連中が、この私鉄買収にからんで莫大な金をとつたという疑獄がございました。

北山愛郎

1952-12-13 第15回国会 参議院 運輸委員会 第11号

隼人、古江線のごときは、小川平吉という鉄道大臣の時分にわざわざ鹿児島まで視察に来られて、これも三十年も前からのことで非常に必要な線だというので予定線になつておる。そのときはもつと距離が遠いのです。隼人、それから大隅半島の横別府といういわゆる古江とかいうところまでで、これはずつと昔に建設しなければならん予定に編入されておつたところなのであります。

前之園喜一郎

1952-07-01 第13回国会 参議院 本会議 第59号

内村清次君 曾つて大正十四年の二月に、天下の悪法と言われました治安維持法が、時の憲政会内閣加藤高明総理大臣若槻禮次郎内務大臣小川平吉司法大臣のこの内閣によりまして審議せられ、且つ二カ月に亘る審査の結果、これが可決をされたのでありましたが、その後三回に亘つてこの治安維持法改正せられた。

内村清次

1952-06-28 第13回国会 衆議院 議院運営委員会 第69号

それから小川平吉君から、島田三郎君の言動に対して、これまたいかぬということで、これはただちに処決を促すの動議が可決されまして、それに御本人が従わなかつたために、院議無視によつて懲罰に付されております。そこで除名の決定を見たけれども、会期が終つてしまいましたので、現実には議決に至らなかつたということがあります。梅田寛一君の場合も、ほぼ同様の事例があります。

大池眞

1952-05-12 第13回国会 衆議院 法務委員会 第49号

刑法の教唆罪が成立すると同時に、さらにまた扇動という隠れたる威力ある強威的文字使つて、裁判官が一片の新聞記事扇動であるとして、起訴し、罰する場合はどうするかという質問に対して、時の法相小川平吉氏は「扇動を何故罰するか、教唆の程度まで行かない者を何故罰するか、斯う云う御質問承知致しましたが、之が即ち本法の特色であります」という答弁をなさつておるのであります。

田万廣文

1951-03-05 第10回国会 衆議院 決算委員会 第14号

○高橋(權)委員 名前は遠慮いたしますが、ある線のごときは、小川平吉氏が鉄道大臣当時であつて昭和十一年ですから、その鉄道が敷設されれば五百万円の損害である。だからといつて反対したのを、しやにむに建設しておつた。今われわれの国有財産になつておる。これは一線の引例にすぎないが、それを今度また拂い下げるならば、今日の時価で見積つたら、相当の価格になるものであると私は思う。

高橋權六

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