1953-10-02 第16回国会 衆議院 農林委員会 第34号
たたちに小岩井牧場を見学しました後、県庁内におきまして、国分知事、県会議長以下県内指導者の方々と会見いたしまして、昭和九年以上の大凶作といわれまする本年度の稲作の災害状況を中心に農政上の重要問題につきまして協議懇談を遂げ、翌十四日はこれらの事情を実地に検証しますために稗貫郡大迫町、下閉伊郡宮守村、上閉伊郡綾織村、遠野町、青笹村、上郷村、和賀郡飯豊村、笹間村、藤根村、江釣子村の四郡下二町八箇村にわたり
たたちに小岩井牧場を見学しました後、県庁内におきまして、国分知事、県会議長以下県内指導者の方々と会見いたしまして、昭和九年以上の大凶作といわれまする本年度の稲作の災害状況を中心に農政上の重要問題につきまして協議懇談を遂げ、翌十四日はこれらの事情を実地に検証しますために稗貫郡大迫町、下閉伊郡宮守村、上閉伊郡綾織村、遠野町、青笹村、上郷村、和賀郡飯豊村、笹間村、藤根村、江釣子村の四郡下二町八箇村にわたり
○国務大臣(森幸太郎君) 小岩井牧場等、実際の問題は私よく存じておりませんが、概括的に申上げますと、日本の牧場が軍馬中心であつたという関係方面の考え方、印象が深かつたのであります。この気持から牧場の縮小ということが考えられたと思います。