運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
29件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

1959-11-19 第33回国会 参議院 内閣委員会 第4号

今まで僕は加藤防衛局長とか、小山装備局長とか、あるいは高山技術課長がかつて本院で、ずっと専門的に述べられた速記録を見て、やはりあの人たち発言は正しかったのじゃないか、こういうような感なきを得ない。一体私が今申し上げましたこういう数字は、源田さんから報告があったかどうか。この公式発表のデーターをいかようにとられるか。

矢嶋三義

1959-11-17 第33回国会 参議院 内閣委員会 第3号

矢嶋三義君 ほんとうを言えば、あなたは小山装備局長後任に坐ったので気の毒なんだけれども、しかし庁議できめるときのあんた責任者ですから、小山局長事前中小企業庁長官赤城長官が待避させておりますが、この人も出席願っておるのですが、きょうお見えになっていないのですが、いずれ小山装備局長にもお目にかかるつもりです。で、先ほどの答弁小山君とも相談して下さい、前局長とも。

矢嶋三義

1959-11-12 第33回国会 参議院 内閣委員会 第2号

そうして、左藤防衛庁長官小山装備局長、加藤防衛局長、口をそろえて、河野一郎さん、川島幹事長さんの要望もあったから、二日間F—104Cの十分説明を聞いたが、やはりいけないんだということをちゃんと速記録に残しているじゃないですか。だから、昨年のあの時点において、F—104Cの検討は不十分であったというようなことは絶対に言えないわけです。

矢嶋三義

1959-11-12 第33回国会 参議院 内閣委員会 第2号

だから当然加藤防衛局長、今、中小企業庁長官に転出した小山装備局長等は行政的責任があると思う。私はそう考える。加藤局長は、衆議院予算委員会にも出席しておられない。内閣委員会にも出席しておられない。あの人はさすがりっぱな人です。私はお気の毒だと同情していたのですが、けさの読売新聞には、加藤防衛局長は辞意を表明したと四段抜きで写真入りで出ておる。加藤防衛局長の心境としては、そうだろうと思う。

矢嶋三義

1959-11-07 第33回国会 参議院 決算委員会 第3号

ここに小山装備局長――七十五・九万ドル安い。これはF104Cに改装――F104Aではない、F104Cに改装されたものが、これだけということは、予想外に安いということを速記録に残している。今は、百万ドル以上というのです。それで私はかつての速記録と、今の調査ではナサールも百三十万ドルくらいかかるだろうという話もある。そうしたら一機五億円からするのです。五億円から。

矢嶋三義

1959-11-07 第33回国会 参議院 決算委員会 第3号

矢嶋三義君 残念ながら、小山装備局長中小企業長官に二十日ほど前に転任していますが、後任の塚本さんに聞まましょう。あなたは、なぜロッキードにきまったら川崎でやらせろと主張しないのですか、というのは、小山装備局長が、昨年の十一月に速記録に残しているのによると、ロッキード社川崎航空共同作業をして価格を算定したのが、一機約七十五万六千ドルでできるという作業をした。

矢嶋三義

1959-10-15 第32回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第4号

それから小山装備局長中小企業庁長官に転出したのは、何か戦闘機種選定等についての非常に読みの深い私のやり方ではないかというようなことでありますが、別に読みが深いわけでも何でもありません。小山局長通産省から私の方へ来ておったのでありますが、もう一年前、もっと前から通産省の方へ返してくれ返してくれという通産省からの要求が非常に強かったのであります。

赤城宗徳

1959-08-01 第32回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第2号

もしそういうことになれば、今まで事務当局として国会に臨み、防衛庁内に努力してきた今井事務次官とか、あるいは小山装備局長、加藤防衛局長責任をとる場合が起ってくるだろう、こういうことさえ伝えられた。これは私は防衛庁長官からも聞いていない。これは新聞記者の皆さんの一部から聞いたのです。私の判断から言っておる。一体、この話は間違っていない。

矢嶋三義

1958-10-28 第30回国会 参議院 内閣委員会 第7号

ただいま出席されておりますのは、航空幕僚監部高山技術第一課長そのほか小山装備局長もおいでになっておりますが、前回の続きでありますので、高山技術第一課長に御質疑願いたいと思います。御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。  ちょっと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕    〔理事矢島三義君退席、理事松岡平市君着席〕

矢嶋三義

1958-10-24 第30回国会 参議院 内閣委員会 第6号

今井次官加藤防衛局長佐薙空幕長から小山装備局長からずらっと出ている。そうして話し合いの会を開いている。この会はなぜやったかというと、これは河野総務会長川島幹事長の要請に基いてやったのじゃないですか。さらに衆議院速記録を見ると、きのうこれは追及しなかったのですが、佐薙空幕長はだれから出ろと言われたか、課長から言われたのか何かわからぬ。ただ自分は出たのだ。

矢嶋三義

1958-10-24 第30回国会 参議院 内閣委員会 第6号

政府委員門叶宗雄君) 先ほど矢嶋委員の御質問にお答え申し上げたのでありますが、岡二佐が候補者に入ったか、あるいはなぜ候補者から除外されたかということを、私は存じませんと申し上げたのでありますが、なおこの間の事情については、主管局長である小山装備局長出席されておりますので、装備局長からお答え申し上げたいと思います。

門叶宗雄

1958-09-26 第29回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第3号

それと四月十五日に私が当委員会質問したときに、小山装備局長はこういう答弁をしているのです。具体的に生産機数とか、生産計画を作るわけだ。その生産機数とか、生産計画が具体的にできた後に、どこに発注するかがきまる。こういう答弁を私の質問にしているわけです。ところが、その後衆議院決算委員会速記録を見ますと、発注をする担当会社を新三菱ときめた。それから川崎航空をサブときめた。

矢嶋三義

1958-09-02 第29回国会 衆議院 決算委員会 第8号

それと林法制局長官国防会議事務局長、それから大蔵省次官森永幹事防衛庁今井幹事通産省上野幹事、経済企画庁の徳永幹事、そのほかに防衛庁から加藤防衛局長小山装備局長以上がこの会議出席しておりますけれども、これは国防会議懇談会でございます。それから次は本年の一月二十五日、これは十三時からでございます。

廣岡謙二

1957-10-08 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

防衛庁をよくするには本家本元と縁を切ってしまって――ここに小山装備局長、山下経理局長山本人事局長というように書いてあるが、山本人事局長なんというのは最近来たばかりで人事も何もわかりはしない。(笑声)そして二年経ったらさっさと帰って行く。これで一体防衛庁がよくなると思うのですか。そこを私は言うのです。

辻政信

1957-10-08 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

四月ないし五月にこの結論はわかっておると小山装備局長ははっきり言っている。そうして今日まで長官報告もしておらなければ一おそらく長官は、ほんとうのところはけさ新聞を見て驚かれたと思う。私はそう思います。そこに内局の主任者が職務怠慢といわれてもやむを得ない点がある。事故対策を徹底するということは、単に予算をふやすだけではいけない。このような怠慢の官吏を首切る、そこまで責任を求めなければ直りません。

辻政信

  • 1
  • 2