1976-03-04 第77回国会 衆議院 予算委員会 第23号
そして論告の中には、「被告は家が貧困であったため小学校も満足に行くことが出来ず、十一、二の時父母の許を離れ、農家の小守奉公に行く様になったが、その後被告人が十八才になる迄二、三の農家を転々し、家庭的愛情にはぐくまれつつ少年時代を過ごすというわけにはいかなかった。
そして論告の中には、「被告は家が貧困であったため小学校も満足に行くことが出来ず、十一、二の時父母の許を離れ、農家の小守奉公に行く様になったが、その後被告人が十八才になる迄二、三の農家を転々し、家庭的愛情にはぐくまれつつ少年時代を過ごすというわけにはいかなかった。
それから医師会の副会長の清沢先生、石原先生、それから鍼灸関係学識経験者としては、岡部という日本鍼灸学会の会長、それから鍼灸関係を含めたものの学識経験者として、東京教育大学の芹沢助教授、それからマッサージの関係として小守委員、それから、あんま、はり、きゅうを含めまして、養成所をやっております花田委員、柔道整復では魚住委員、それから盲人関係といたしまして、大野委員等でございます。
そこでこれは情痴関係の殺人であるというので、それの情夫の小守壮輔というものを検挙いたしました。それで検事が調べて、そうして長い間予審にかけまして、公判に移して一審で死刑になった。
第三番目の問題は、すでに前の方の芹澤先生なり、小守先生なり、花田先生の御説明で十分と存じますので説明を省かせていただきます。
事 (第一部第一課 長) 中原 武夫君 参考人 日本医師会常任 理事 志村 國作君 東京医科大学名 誉教授 藤井 尚久君 元横浜医科大学 講師 檜物 一三君 東京教育大学教 育学部特設教員 養成部講師 芹澤 勝助君 全日本鍼炙按マ ッサージ師会会 長 小守
次は、全日本鍼灸按マッサージ師会会長の小守良勝君にお願いいたします。
それから今度は指圧の研究者でありますが、元東京医科大学の教授藤井尚久という人、それからあん摩、はり、きゅう、柔道整復師中央審議会委員をしておりまして東大の医学部の整形外科の三木威勇治という人、この人は学者側として、そのほか医者の立場からしてこの問題をどう考えるかということにつきまして、日本医師会の会長の黒沢潤三さん、それからあん摩、はり、きゅうの業者の代表といたしまして、全日本鍼灸按マッサージ師会友長の小守
○野澤委員 大体従来からの小守さんの御意見で、これを承知しているのですが、現在禁止されようとしております療術業者の生業権に対しては、あなた御自身も、何か法的な措置をしてこれを認めていきたい。認める方法としては、今お話しのように、あんまの中に手技を包含していきたい、こういうお気持はよくわかるのでありまして、大体あなたの気持は了承いたしました。
○小守参考人 私も中央審議会委員に命ぜられておりまして、厚生省申請の場合に審議の一員になりますが、最も公平に扱っております。従って、自分が盲人の立場であるからといって、盲人を中心にした審査内容は絶対に持っておりません。
次に参考人といたしまして、全日本鐵灸按マッサージ師会会長小守良勝君、日本鍼灸師会会長花田博君、全国療術協同組合緊急法制対策部長黒田保次郎君、日本手術技療術師協会会長松原秀雄君、東京大学名誉教授三沢敬義君、国立箱根療養所所長岡原寅猪君の六君を選定し、その手続等に関しましては委員長に御一任願うことに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕