1999-07-01 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第11号
ですから、私は国民学校の一年生、日章国民学校の一年生として小学制度に入学した。それまでは日章尋常高等小学校と言っていたようであります。 そして、第二次大戦が終わったときに、私は国民学校の五年生。その翌年、私どもが六年生として国民学校を卒業して、そこでまた再び小学校という名称に変わったわけでありますので、私は丸六年間国民学校に行っていた。
ですから、私は国民学校の一年生、日章国民学校の一年生として小学制度に入学した。それまでは日章尋常高等小学校と言っていたようであります。 そして、第二次大戦が終わったときに、私は国民学校の五年生。その翌年、私どもが六年生として国民学校を卒業して、そこでまた再び小学校という名称に変わったわけでありますので、私は丸六年間国民学校に行っていた。
旧制の小学制度におきましても、高等小学校になりますと、職業教育がそれぞれあったのでありますが、しかし、その中でもなおかつ、この進学組というものを持たなければならなかった。学校の実情としては、階層別に将来の子供の方向が分れる教育をするということは、教師の立場に立って、非常に苦しい。体験上苦しんでおった問題でふります。