1952-06-03 第13回国会 参議院 外務委員会 第36号
外務省解訳にはとんでもない誤訳、悪訳があつたので、その後多分外務省解訳というのは改められたものだと思つておりますが、外務省のには恐るべき誤訳と政略があるから、だから私はそれを用いないで、ほかにそれよりも少しましな飜訳がよそにあるから、それを用いることにしますが、それによると、あの大西洋憲章の第四項には、「兩國は」両国というとイギリス、アメリカのことでありますが、「兩國は其の現存義務を適法に尊重し大國たると小國
外務省解訳にはとんでもない誤訳、悪訳があつたので、その後多分外務省解訳というのは改められたものだと思つておりますが、外務省のには恐るべき誤訳と政略があるから、だから私はそれを用いないで、ほかにそれよりも少しましな飜訳がよそにあるから、それを用いることにしますが、それによると、あの大西洋憲章の第四項には、「兩國は」両国というとイギリス、アメリカのことでありますが、「兩國は其の現存義務を適法に尊重し大國たると小國
○河崎ナツ君 先程文部省の教育面における体育の問題につきましてのこの度の新らしい立場からの御方針を伺いまして、一應そういう面から小國民の体育のことを他の教育面と揃えて実践的にもやるということは、日本といたしまして新らしい一つの経驗であるかも知れないと思いますのでありますが、先程の御説明の中にもありましたように、それではまだ十分ではない考慮のせられる面もないこともないというような御精神が汲み取られたのでありますが
御承知の通り、北欧の小國デンマークは、わが國の北海道の三分の二に満たない小面積の國でありますけれども、あの國が戰に敗れたあと、國民は不安と動揺と、そしてまた深刻な敗戰の重圧の中から遂に立ち上つて、今日見るごとき、世界における最も輝かしい農業國家を完成したのであります。
世の弱者や將來を托すべき大切な小國民、数において國民の約半分もある二十歳以下の不良化の防止と、健全な育成と、又一般史業者の増加に伴う各種の欠陷は、著しく社会大衆の混乱を來しつつあります。 又二百万に近い未亡人の家庭に喘えぎ拔いている人達に、先日も決議案が通過いたしましたが如何なさるお考でありますか。
○西郷吉之助君 只今の木村國務大臣の御説明は御説明といたしました誠に了承するのでありまするが、只今申上げましたように、小國民が非常にそういうふうな課税をされるというようなことを小さい者までも非常に今日は心配しておるような現状でありまするから、國務大臣におかれましては、そういうふうなものに対しまして十分愛情を披瀝されまして、何かの機会にそういうふうなものではないのだというふうなことを一つ談話の形式なりでお
われわれは、ともすれば敗戰國民の陥りやすい小國民的センチメンタリズムに乗じて、大局を忘れさせてはならぬと思います。(拍手)わが國の政府が國際的に信頼されることが再建のためにいかに必要であるかに思いをいたし、吉田首相は、この國際的批判が事実に基くものであるとするならば、大いに反省あつてしかるべきである。
ことに御考慮を願いたいのは、現在の飜刻発行会社が四十年の長きにわたり、わが國の小國民に侵略戦争の思想を植えつけた罪は、絶対に不問に付さるべきものではないと存じます。それがよし時の政府の指示に從つたとはいえ、きのうの侵略謳歌者が今日は平和主義を讃仰するという教科書発行会社であつては、教育の尊厳がいかにして保たれ得るものでありましよう。
安平川河口復旧工事施行の請願(第二〇六号) 洞爺國立公園予定地帯の観光道路改修並びにその道路をバス路線として使用認可に関する請願(第二一一号) 新田川及び升形川改修工事施行の請願(第二二〇号) 矢作川改修工事完成促進の請願(第二二一号) 昭和町地先小櫃川堤防補強工事施行の請願(第二二三号) 白川改修工事施行の請願(第二三五号) 村山野川及び白水川上流改修工事施行の請願(第二三六号) 小國川改修工事施行
設 技 官 米田 正文君 專 門 員 西畑 正倫君 ――――――――――――― 本日の会議に付した事件 小委員会の報告に関する件 國政調査の報告に関する件 ――――――――――――― 請 願 一 白川改修工事施行の請願(金野定吉君紹 介)(第二三五号) 二 村山野川及び白水川上流改修工事施行の請 願(金野定吉君紹介)(第二三六号) 三 小國川改修工事施行
————————————— 十一月十八日 白川改修工事施行の請願(金野定吉君紹介)( 第二三五号) 村山野川及び白水川上流改修工事施行の請願( 金野定吉君紹介)(第二三六号) 小國川改修工事施行の請願(金野定吉君紹介) (第二三七号) 引田町字大明神海岸に防潮堤築設の請願(成田 知巳君紹介)(第二四二号) 觀音寺村における道路及び用水路復旧の請願( 金野定吉君紹介)(第二五二号)
○委員長(吉川末次郎君) 次に日本弁護士会連合会長の代理の小國修平君に御証言を願います。只今河北君より御証言のありました特別業務税中、代理業である弁護士、司法書士に対する課税問題を中心といたしまして、成るべく簡單に御証言を願いたいと思います。
○証人(小國修平君) そうですか。それではその他の税金については省略いたします。
と申しますのは、申すまでもなく、小國民たちに將來社会生活において一應の一人前の人間として活動できるような力を授けますのが、教育の一つの眼目だといたしますならば、ただいま、ローマ字によつて日本の社会生活が一般的に行われており、また学問文化の修得につきましてもローマ字によつてのみ行い得るというような習慣、状態がまだ日本の社会にできておりません以上は、その半分をローマ字のみによるなどといかことはまだ尚早と
○岡野繁藏君 日程第四七の請願の要旨は、玩具に対する物品税は戰時中に制定された奢侈品的な高率であり、かつ現下の騰貴した資材及び労賃のため、その價格は九十倍以上となる、小國民の必需品としてとうていその負担に堪えられず、脱税者及び横流しを助長している。ついては木製玩具の物品税に対しては、一個又は一組百円未満のものは二割とされたい。
なぜならば、國際社会において、小國は常に正しい意見を思い切つて言うことができる立場に置かれておるからであります。 第二には、平和会議の早期開催についてお伺いしたい。戰爭危機の問題と平和会議は、密接不離の関係にあります。平和会議も開けないくらい戰爭危機が切迫しておるという考え方があります。この意味からも、一日も早く平和会議を開かれることは、國民をあげての熱望であります。
読み上げますと、「山形縣最上郡西小國村の昭和二十二年産米未完納者に対する西小國村食糧調整委員会の申請に基く山形縣知事の強権発動に関して、三月二十二日突加最上地方事務所長及び西小國村長に対し農林大臣が電報をもつて停止を命じたことは、食糧管理法にもとるもので供出制度を破壊するものと断ぜざるを得ないとともに、かかる指示を発せられるにおいてはわれわれ食糧調整委員は主要食糧の供出に関しその責を果し得ない事態に
自分に財力があるならば、それらの二大潮流とは別に、一旦の戰い敗れたりとも、小國経済の現実に即して新しい國家を再建するところの経済方策を立てていきたいと思うけれども、財力これに伴わずして志を得ないことは残念であるというよう話ををしたこともございます。同時に今お話の中に、そういうふうにお互いに話をすると天下國家の話になつてしまつて、貸した借りたという金は大体けじめがつかない。
なお第二の山寺・小國間の運轉時刻の延びますること、これは御指摘のように、乘換えを三度もやらなければならぬところでありまして、この点については、先般も地方の人からも陳情を受けております。來る七月から実施いたします時刻改正までにこの問題を好轉さすように、運輸当局といたしましては努力をいたすつもりでございます。以上で御了承をお願いしたいと思います。
殊に同じ山形縣にありながら、山寺から小國に行きますのに、東京に來るよりも、なお時間を要するというような運輸状態のさまであります。黙つておれば、人の痛いのは何年でもこらえるというような政府のやり方であると私は思う。ここに山形縣の地図を持てきておりますが、この山寺から小國に至る間に、三度も乘り換えなければいけない。そして待合せの時間を入れますと十時間もかかる。
そこでたとえば山形縣などにおきましては、同じ縣内でありながら、山形から小國に参りますのに約一日を要するのであります。東京に來る時間とほぼ等しいくらいの時間を要し、途中における乘換も二回というような状態でありますが、そういうふうでは、大東京を中心として、東京だけがすべての中心となつて、ますます大きくなつていく。
支線で山形、小國間六十キロぐらいの距離で約三時間以上もかかつておりまして、この地方の方々に、たいへん御迷惑をかけておりまして、まことに相済まないのでありますが、これは一昨年十一月以降の石炭の制限のために、旅客列車を全國的に削減いたしまして、奧羽線でも相当削減いたしまして、支線との連絡が惡くなつた結果であります。
イギリスというものは當時は小國でございまして、大國の間に伍して行くのにはこれは外交關係というものが非常にむずかしかつた。同時に當時は封建制度というものがぶつこわされて、近代國家というものが出來上る時代なのであります。でありますから、そういう時代には行政權というものが強くなるのは當然でございますが、その行政權が非常に強かつた時代、王樣の權力というものが非常に強かつた時代であります。
白川というのは最上川の支流の小國川の支流でありまして、山形県の北部最上郡西小國村の東部より北部に流るる川であります。川の上流は東北でも有名な森林地帯であり、また下流は耕地が約三百五十町歩ほどございます。上流の方は、大正十二年ごろより営林署の伐採の工事が開始せられまして、またその後、殊にこの戰争中には用材竝びに製炭用材が非常に多くとられましたような關係で、非常に現在は荒れはてております。