1979-03-27 第87回国会 参議院 予算委員会 第16号
○政府委員(塩田章君) お尋ねの小名孝雄氏が月刊雑誌である「軍事研究」の編集発行人のことかと思いますが、そうであるとすれば、かつて同「軍事研究」という雑誌に記載されました記事につきまして告訴問題があったということを聞いておりますけれども、防衛庁自身としては関係がございません。
○政府委員(塩田章君) お尋ねの小名孝雄氏が月刊雑誌である「軍事研究」の編集発行人のことかと思いますが、そうであるとすれば、かつて同「軍事研究」という雑誌に記載されました記事につきまして告訴問題があったということを聞いておりますけれども、防衛庁自身としては関係がございません。
○野田哲君 防衛庁に伺いますが、防衛庁ではこの「軍事研究」とか、あるいは小名孝雄という人については非常に印象に深い人であると思うのですが、過去に防衛庁にかかわることで何か事件があったと思うのですが、その事件の内容はいかがですか。
そしてこの主宰者は小名孝雄という人だと思うのですが、その点いかがですか。
この人は小名孝雄というのです。昭和四十一年の九月防衛庁の、時の海原官房長が告訴をしている人なのですね。その告訴をしたのは、いろいろな防衛庁内のデマが出たわけです。それは四十一年のいろいろな雑誌に出ております。その雑誌によりますと、まず第一に「軍事研究」の当時の十月号に海原官房長のことを東京地検に告発しております。
次いで同月六日の内外タイムズ紙面にカルテに関する記事が掲載されましたので、それでは焼いたというカルテが残っておるのだろうかと疑いを持ち、それから当時宇都宮の刑務所に服役しておりました荒牧を調べましたところが、カルテの写しは同人の友人である先ほどお話の小名孝雄の方へ渡してあるということで、前に焼いたと言ったのはうそであったということがわかったわけでございまして、その他は先ほど先生のお話のございましたようないきさつになっております
今春、毎日新聞が右翼の襲撃を受けましたことは記憶に新しいととろでありますが、十月十七日、信濃毎日新聞の報道するところによりますと、十月十五日、右翼の内幕をあばいた記事を掲載したという理由で、雑誌「政治経済」の編集責任者、小名孝雄氏は、多数の右翼人に料亭へ呼び出され、軟禁状態のもとで激しくつるし上げられたということが起こっておるのであります。