1962-03-02 第40回国会 衆議院 法務委員会 第11号
民事訴訟の形でこの国民がひっぱり出される場合に、行政庁の援助を法律上得られるということは、たとえば、農地改革において農地を取得した旧小作人諸君等にとりましては、それだけでも大いなる利益であると考える次第でございます。
民事訴訟の形でこの国民がひっぱり出される場合に、行政庁の援助を法律上得られるということは、たとえば、農地改革において農地を取得した旧小作人諸君等にとりましては、それだけでも大いなる利益であると考える次第でございます。
ところが、それを買い受けましたかつての耕作者、小作人諸君が、今工場の分散、あるいは道路が新設される、格差の解消のために、山間部も農村地帯もどんどん発展をしていく、そういう際でございますので、一坪数万円にも土地を売るような人があるわけでございます。それを目の前にいたしまして、かつての地主諸君は悲涙にくれておる。坪三十数円、四十円ぐらいで強制的に売り渡したものが、今や数万円になっておる。
結局その後百七十万戸全部を対象にして調査を進めるということでありますが、この際これに関連して政府として十分思いを新たにしてもらいたい点は、農地改革の成果で、当時の小作人諸君の約四百万戸が農地改革の恩恵に浴しておるわけです。ところが現在の農村における六百万戸の農家の実情というものは、どうなっておるかということもあわせて考える必要があると思う。
小壮気鋭の若き社会運動家であった細野さんは、恵まれない小作人諸君の期待の中に、雪深き山村に入り、農家に起臥をともにして、数年にわたる争議の指導、訴訟の解決に、文字通り心骨を注いだのであります。(拍手)官憲の強圧と封建の遺風のもと、その苦しさとその困難さは、今日法の許容のも、に行われるものの比ではなく、強い情熱と不抜の勇気のある人のみのなし得ることでありました。
ことことは一体何を意味するか、少くとも土地改革によつてできた小作人諸君が、その土地を抵当に入れて金を借りなければならないという、この悲惨な事実こそ、農地改革というものが実質的にほとんどその効果を上げていないことを証明している以外の何ものでもないのであります。