2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号
さらに、長野県では、小中学校時代に学校登山を行う、こんな伝統もあります。学校登山を教育課程に組み込むこともあり得ると思いますが、お考えを伺いたいと思います。
さらに、長野県では、小中学校時代に学校登山を行う、こんな伝統もあります。学校登山を教育課程に組み込むこともあり得ると思いますが、お考えを伺いたいと思います。
小中学校時代の学力低下は高校にも確実に引き継がれているということが、これを推察される資料として御提示をしております。テストを受けた浪人生の多くは十九歳であったということを仮に仮定すると、一九九五年のテストを受けたグループは一九八三年から一九九一年にかけて、一九九九年のグループは一九八七年から一九九五年にかけて小中学校に在籍をして学んだことになるんです。
幼いころはお母さんに連れられて工場の中で過ごして、小中学校時代は石綿工場の前を通って通い、放課後の遊び場も社宅の周りや工場内で、学校の近くにも工場がある、石綿だらけだと。お父さんは肺がんで亡くなり、お母さんも石綿肺です。そして、岡田さんも石綿肺。お母さんは、石綿の怖さを知っていたら工場へは連れていかなかった、石綿の仕事はしなかった、子供に申し訳ないと、こういう思いでいっぱいだそうですけれども。
しかし、私自身、小中学校時代、音楽あるいは社会で君が代の歌詞について深く授業を受けたという記憶はありません。今の小中学校の音楽、社会の教科書には、日の丸・君が代について、各国の国旗や国歌を互いに尊重し合うように書かれております。しかし、日本人が自国の国歌や国旗に自信が持てないで、どうして他国を尊重することができるんでしょうか。 既に国旗・国歌法が制定されてから来年で十年がたとうとしております。
したがいまして、申し上げましたように、小中学校時代から物づくりの現場を見るとか、職業を体験する機会を与えるとかが重要と考えますけれども、こう申し上げたことに対する取り組みはどのようになっているのか、お聞かせいただきたいと思います。
私の小中学生のときには、学校、必ず教師さんは、教師は偉いという、そういう感覚がありまして、小中学校時代、授業始まる、授業終わるときは必ず起立、礼、先生にありがとうございます、お願いしますという礼があったんですけれども、今は小中学校へ行っても、そうやっているクラスもあれば、そうやっていないクラスもあったりなかったりとばらばらなんですけれども、大臣、この現象をどのように思いますか。
皆さんにも思い起こしていただきたいのですが、小中学校時代に君が代の歌詞が理解されていたでしょうか。少なくとも私は、歌詞が理解できたのはずっと後のことでした。現在の中学生に歌詞の解釈を求めても、ほとんど答えることはできません。それは、教えられていないからという単純な問題ではありません。
○服部三男雄君 今の関連でもう少し補足したいんですけれども、よく新聞、テレビ等でこの通信傍受法案の説明のところで、例えば暴力団の事務所へ電話したら、それは商売で、出前だとかクリーニング屋だとか、あるいは暴力団員じゃないけれどもたまたま暴力団員の友達だった、小中学校時代の同級生がゴルフの誘いで電話した、それも聞かれるんだとかいうような、明らかに誤解とわかっているようなことがよくテレビ等でしゃべられている
国立競技場ではそういった面に力を入れておるわけでありますが、同時にまた、考えてみますと、終戦直後のあの物のない時代に、なぜ古橋は断然世界のトップの水泳者になれたのか、最近はどうしていざ世界的な大会となると日本の選手は弱いのか、やはりいろいろ考えますと、小中学校時代からの体育・スポーツのあり方あるいは栄養のバランスの問題、いろいろな問題がかかわり合ってくるわけでありまして、そういう総合的な立場で体育・スポーツ
○松永国務大臣 私は今、日本人が御飯を食べる回数が少なくて、そしてパンを食べる回数がふえてきておる、若い人に、学校給食で小中学校時代を送った人に多いような感じがいたします。私自身は、先生と同じ年代かもしれませんけれども、実は御飯を食べないというと飯を食った気がしないわけであります。したがって、外国旅行は余り好きじゃないわけです。
○大川清幸君 そこで、青少年が非行化したり、中学生あたりが意欲がなくなっていろいろな問題を起こす、これがいわゆる落ちこぼれと一口でくくられておるんですけれども、後ほど論議したいと思いますが、落ちこぼれは本当は小中学校時代、義務教育段階で発生をしておりまして、高校の入試でたまたま顕在をするということなので、これは教育制度の問題にもかかわることでございますが、その論議に入る前に、まず全国の高等学校の生徒
しかし、生産の調整もさることながら、消費の拡大ということが大きな問題として言われておるわけでございますが、私はこの小中学校時代にでき上がった食習慣というものが一生を支配するだろうと思うのですね。
それで、まず文部省の方がお出になっておりますので伺いますが、これは正規の家庭科の中に繰り入れる、こういうこと、あるいはまた高校の中でももっと科学的にこれを説明し、使用の仕方、あり方というものについて徹底を図っていく、小中学校時代から、その年齢に応じ、学年に応じてやっていくというような教科を、カリキュラムを組む必要がないかと私は思いますが、この点について文部当局としてはどのようにお考えでございますか。
これは結婚から就職から教育から……、しかもその差別が一番多いのが小中学校時代だと言わわれている。そういう差別が、いまなお存在しているということです。 私、長官にお伺いしたいのは、いわゆる同和対策の対象になっている未解放部落の人たちの差別と、このアイヌ系住民に対する差別の違い、その原因について、長官どういうふうにお思いになりますか。
この間に、小中学校時代から十八歳になるまで、ほとんど強制的にABCCという機関があるのですが、そこから検診を強制されましたけれども、その当時から結核の前兆である瘰癧などがあり、発病していたのではないかと思われる節があったのですけれども、それは診断結果は何も知らされませんでした。 こうした苦しい少女時代、青春時代から今日まで、原爆手帳の交付以外、国家的な援助は全くありませんでした。
そういうこともありますし、同時にまた、やはり小中学校時代というものが将来にわたる人格の基礎がつちかわれるときでございますので、同じ幼稚園から大学までといいましても、大切な時期であることには違いはないと思うわけでございます。
それは、生徒、児童を一斉にテストをするのは、アメリカの国防教育法のように科学的天才を小中学校時代に発見をするというならば、そういう目的ならば全児童、生徒にしなければわからないのですね。
「小中学校時代から思想教育を行なうことはますますテロを行なわせる危険がある」……。