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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1949-12-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号

これは將官ラーゲルでありまして、一名戰犯ラーゲルとも言われております。これはハバロフスク地区レーニン街のすぐ側にありまして、殆んど町の中央部にあります。これには滿洲国皇帝張景惠以下数人の者並びに日本の元の将官が百八十五名大体おりました。その中には山田乙三、秦号三郎梶塚隆二、川島元軍医少将、そういう人達はそこにはいないということを言つておりました。

山本昇

1949-05-22 第5回国会 参議院 本会議 第31号

而してこの五十九万四千名の中には、將官以上百四十八名、戰傷者二万人を含むという註をも加えております。終戰の直後に、僅か一ケ月に至る間に、捕虜にいたしましたる日本人の数が五十九万四千名でありまするが、その後二三年の間には尚これに幾ばくかの数を加算すべきことは常識でも分ります。

伊東隆治

1949-04-08 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第14号

その程度でございまして、私共のところはもう全くソヴィエトの方の扱いが將官兵隊を別にして扱つて呉れておりましたので、さつきもちよつと申上げたのですが、將官兵隊とは食事の量が違いますので、それを一緒にいたしまして、同じものを食べておつたという状況でございましたが、その外のことは一向聞きません。ただ今の岩佐のことは確実に聞きましたから申上げます。    〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕

赤鹿理

1949-04-08 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第14号

名前を私皆んなこつちに帰りましてから記憶を辿つて書き上げたのでございますが、ここに数は延べでこの將官收容所に入りました人が、延べ武官が百六十人ぐらい、それから文官が十八人ぐらい、私の記憶では延べでございますが、その中で途中で他所に出ましたのが武官が十八名、文官が十二名、入院が五名、それから亡くなつた方が十四名で、私が結局出発しますときにおりましたのは、私共十四人を除きますと、あとに日本武官が百十名

赤鹿理

1949-03-18 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第7号

その後將官級その他の待遇は特別な待遇を受けておるということを我々は聞いておつた。その將官等を通じまして、できるだけソ連に残留しておるところの消息をば当委員会が把握する必要がある。將官という特別待遇の中から我々が委員会として集めなければならん問題があるのではなかろうか。こういう意味であります。

岡元義人

1949-02-21 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号

淺岡信夫君 先程厚生省の復員局説明を聞きましたところが、二月十七日と二月十九日にソ連地区から飛行機を以て当初五名、二回目には約八名の曾ての將官級の人が送られて來たという説明を聞いたのでありまするが、我我が聞き及んでおりました点はなかなか將官級の人は還れんということと、それから彼の地にあつては相当な給與を受けておられたというような点を聞いておるのであります。

淺岡信夫

1948-04-26 第2回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

この役人達は軍部の將官上りが多く、全く官僚的で腐敗している。二千人分を積込んで二千五百人分を帳簿面に記載し、その差を横領するようなことがある。引揚關係に從事する職員は少く、從つて過勞である。これに封して過般政府に對し組合より改善方を要求したが、未だに返答に接しない。輸送船船員は、援護院調達部に積込む食料で苦しめられ、且つ給與惡く、戰爭デマ等が飛び、船員は不足している。

中西功

1947-11-11 第1回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第12号

でございますから從來五百円貰つてつた、例えば將官でございましても、扶養家族のない者は上下の区別なく一律に百円ということになります。それが大体現在の給與の改正の骨子であります。  それからどういうような方法で支給するかという問題になりますと、支給方法としましては、つまり帰つて來た時分にやるのか、毎月留守宅にやるのかという問題であります。独身者に対しましては、帰つたときにやります。

遠藤武勝

1947-10-13 第1回国会 衆議院 厚生委員会 第22号

陸軍の將官をしていた人の遺族の方が、しかも子供を中學校にやつておる家庭で、戰後初めのうちはどうやらこうやら食いつないでおつたけれども、逐にたけのこの身が出てしまつて、ほとんど皮がなくなつてしまつたというようなことで、民生委員にかけこんだ例があります。その時に非常に民生委員がよく指導していただきまして、その人にお花の先生をさせることしにて弟子を集めた。

葛西嘉資

1947-08-18 第1回国会 衆議院 厚生委員会 第11号

それからまた今までのように軍人の將官であり、佐官であり、尉官であり、兵卒であるということによつて、階級的に待遇を異にするということは、舊制度ならばいざ知らず、今日國民が平等に權利を擁護せられておる立場から、これは絶對に禁じなければならぬ。またそういうことをすべきものでない。こういうようなことを考えておりまして、それらのことは結局政令できめる。

一松定吉

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