1949-12-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号
これは將官ラーゲルでありまして、一名戰犯ラーゲルとも言われております。これはハバロフスク地区のレーニン街のすぐ側にありまして、殆んど町の中央部にあります。これには滿洲国皇帝、張景惠以下数人の者並びに日本の元の将官が百八十五名大体おりました。その中には山田乙三、秦号三郎、梶塚隆二、川島元軍医少将、そういう人達はそこにはいないということを言つておりました。
これは將官ラーゲルでありまして、一名戰犯ラーゲルとも言われております。これはハバロフスク地区のレーニン街のすぐ側にありまして、殆んど町の中央部にあります。これには滿洲国皇帝、張景惠以下数人の者並びに日本の元の将官が百八十五名大体おりました。その中には山田乙三、秦号三郎、梶塚隆二、川島元軍医少将、そういう人達はそこにはいないということを言つておりました。
而してこの五十九万四千名の中には、將官以上百四十八名、戰傷者二万人を含むという註をも加えております。終戰の直後に、僅か一ケ月に至る間に、捕虜にいたしましたる日本人の数が五十九万四千名でありまするが、その後二三年の間には尚これに幾ばくかの数を加算すべきことは常識でも分ります。
それは二月十一日と二月十九日の二回にわたつて、飛行機で元將官の階級の方が十四名帰つて來られました。それが今年における引揚げの唯一の例であります。
その程度でございまして、私共のところはもう全くソヴィエトの方の扱いが將官と兵隊を別にして扱つて呉れておりましたので、さつきもちよつと申上げたのですが、將官と兵隊とは食事の量が違いますので、それを一緒にいたしまして、同じものを食べておつたという状況でございましたが、その外のことは一向聞きません。ただ今の岩佐のことは確実に聞きましたから申上げます。 〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕
これは外に將官を收容しておる收容所があるのか。もう一つは戰犯として残されておる人に対して、御存じの範囲において、それから將官級に対しては共産教育をやつておられるのか、この点お伺いいたしたい。まだもう少しありますが、三点だけ……。
名前を私皆んなこつちに帰りましてから記憶を辿つて書き上げたのでございますが、ここに数は延べでこの將官收容所に入りました人が、延べで武官が百六十人ぐらい、それから文官が十八人ぐらい、私の記憶では延べでございますが、その中で途中で他所に出ましたのが武官が十八名、文官が十二名、入院が五名、それから亡くなつた方が十四名で、私が結局出発しますときにおりましたのは、私共十四人を除きますと、あとに日本の武官が百十名
これはソ連地区の引揚元將官赤鹿中將と承つておりますが、この方の証人喚問がこの間から起つておるのですが、大分まだ体がしつかりしないというお話ではないでしようか。それでも一應呼びましようか。
その後將官級その他の待遇は特別な待遇を受けておるということを我々は聞いておつた。その將官等を通じまして、できるだけソ連に残留しておるところの消息をば当委員会が把握する必要がある。將官という特別待遇の中から我々が委員会として集めなければならん問題があるのではなかろうか。こういう意味であります。
ただソ連引揚元將官というのですか、もう少し、どういう目的でどうということが要るのだと思いますが。
○淺岡信夫君 先程厚生省の復員局の説明を聞きましたところが、二月十七日と二月十九日にソ連地区から飛行機を以て当初五名、二回目には約八名の曾ての將官級の人が送られて來たという説明を聞いたのでありまするが、我我が聞き及んでおりました点はなかなか將官級の人は還れんということと、それから彼の地にあつては相当な給與を受けておられたというような点を聞いておるのであります。
この役人達は軍部の將官上りが多く、全く官僚的で腐敗している。二千人分を積込んで二千五百人分を帳簿面に記載し、その差を横領するようなことがある。引揚關係に從事する職員は少く、從つて過勞である。これに封して過般政府に對し組合より改善方を要求したが、未だに返答に接しない。輸送船の船員は、援護院の調達部に積込む食料で苦しめられ、且つ給與惡く、戰爭のデマ等が飛び、船員は不足している。
○佐藤(觀)委員 未復員の留守宅渡しの問題でありますが、今將官の人は俸給はそのままになつておりますが、どのくらいの人數があるのですか。もう一つは、戰爭に敗けてから大將とか中將という職はなくなつておるわけですが、俸給だけは當てられているというのは、何か意味があるのですか。
でございますから從來五百円貰つておつた、例えば將官でございましても、扶養家族のない者は上下の区別なく一律に百円ということになります。それが大体現在の給與の改正の骨子であります。 それからどういうような方法で支給するかという問題になりますと、支給方法としましては、つまり帰つて來た時分にやるのか、毎月留守宅にやるのかという問題であります。独身者に対しましては、帰つたときにやります。
陸軍の將官をしていた人の遺族の方が、しかも子供を中學校にやつておる家庭で、戰後初めのうちはどうやらこうやら食いつないでおつたけれども、逐にたけのこの身が出てしまつて、ほとんど皮がなくなつてしまつたというようなことで、民生委員にかけこんだ例があります。その時に非常に民生委員がよく指導していただきまして、その人にお花の先生をさせることしにて弟子を集めた。
それからまた今までのように軍人の將官であり、佐官であり、尉官であり、兵卒であるということによつて、階級的に待遇を異にするということは、舊制度ならばいざ知らず、今日國民が平等に權利を擁護せられておる立場から、これは絶對に禁じなければならぬ。またそういうことをすべきものでない。こういうようなことを考えておりまして、それらのことは結局政令できめる。