1995-03-28 第132回国会 参議院 逓信委員会 第7号
私は京都の福知山の将校集会所で、少尉でございましたから、玉音放送を聞いた一人でございましたが、ここまでの事実でいいんじゃないか、そこまでで。そこから先はNHKの、その方々かどうか知りませんけれども、どなたの判断か知りませんがその方々の判断だろう、今も外圧云々なんということまでくっつくと。だからそこまでの事実でいいんじゃないかなというのが今承った私の判断でございます。
私は京都の福知山の将校集会所で、少尉でございましたから、玉音放送を聞いた一人でございましたが、ここまでの事実でいいんじゃないか、そこまでで。そこから先はNHKの、その方々かどうか知りませんけれども、どなたの判断か知りませんがその方々の判断だろう、今も外圧云々なんということまでくっつくと。だからそこまでの事実でいいんじゃないかなというのが今承った私の判断でございます。
次に、防衛庁の皆さんに一つだけここで、この間の引き続きでございますから簡単に伺いたいのは、次の機会にもう一遍申し上げますけれども、そこの山王ホテルのところに米軍の将校集会所であるとか宿舎であるとかいうふうなものがある。もうこの間細かい中身は申し上げましたから多くを申し上げませんが、零細なわずかな土地を、しかもお年寄りの女性の方で持っている方などもある。
その当時、不幸にも大東亜戦争が昭和十六年十二月八日に勃発をしまして、私は済南の十二軍の隷下におったわけでありますけれども、アメリカ、イギリスのごとき大国、ことに資源の多い、生産力の旺盛な国家を向こうに回して戦争するということについてはわれわれ民間から召集された者としては当時非常な疑いを持って、当日将校集会所におきまして、この戦争の見通しは非常に困難だということを同僚の主計中尉などと話をしましたところ
この庭園は、旧歩兵第六連隊の将校集会所の裏にあり、現在は名古屋大学の管理下にありますが、名古屋市は、名古屋城再建と同時に、これも管理し、広く市民に開放させてほしいという希望を持っております。