1994-10-11 第131回国会 衆議院 予算委員会 第1号
しかし、そもそもは昭和六十年六月十一日、当時滋賀県知事のときに朝鮮対外文化連絡協会の招請で滋賀県知事団代表団団長として訪朝をしていらっしゃるわけでございまして、毎日マラソンの北朝鮮選手の参加要請を行ったことが大臣と北朝鮮の直接の接触のスタートであります。この北朝鮮の橋渡しをしたのが朝鮮総連の幹部である金鐘諸氏ではなかったのか。もうイエスかノーかだけでお答えください。
しかし、そもそもは昭和六十年六月十一日、当時滋賀県知事のときに朝鮮対外文化連絡協会の招請で滋賀県知事団代表団団長として訪朝をしていらっしゃるわけでございまして、毎日マラソンの北朝鮮選手の参加要請を行ったことが大臣と北朝鮮の直接の接触のスタートであります。この北朝鮮の橋渡しをしたのが朝鮮総連の幹部である金鐘諸氏ではなかったのか。もうイエスかノーかだけでお答えください。
事務的問題は朝鮮労働党、対外文化連絡協会と連絡をとって話を進めていただきたい、こういう返答があったということが発表されておるわけです。これは昭和五十五年の九月の話です。こういう発言があるんですが、これについて政府はどういうように対応されたでしょうか、お尋ねします。
一九八〇年九月、金日成主席自身が発言されたことなんですが、日本人妻の里帰りと日本にいるその家族の訪朝を歓迎する、事務的問題は朝鮮労働党、対外文化連絡協会と話を進めてほしいというように金日成自身も発言されておられるということもございます。
その内容というのは、日本人妻の訪日と日本にいる家族の訪朝を歓迎する、事務的な問題は朝鮮労働党、対外文化連絡協会と連絡をとって話を進めてほしいということまで一国の元首がおっしゃっているのですね。ところが、それから以後話は進んでないのですよ。話が進まないのです。一体だれがやってくれているのだろうか。私が対策委員会をつくってくれというのはこういうことをいうのですよ。だれも動いていないのです。
○中野鉄造君 一昨年、つまり五十五年九月に自民党のAA研の方々が北朝鮮を訪問しまして金日成主席にこの問題を訴えたときに、金日成主席は日本人妻の訪日、つまり里帰りですね、里帰りと、日本にいるその家族の訪朝を歓迎する、事務的な問題は朝鮮労働党、対外文化連絡協会と連絡をとって話を進めてほしいと表明されておるようですが、このことによって、北朝鮮側の窓口が、朝鮮赤十字会ではなくて朝鮮労働党及び対外文化連絡協会
しかも具体的に、対外文化連絡協会などを通じてやってもらいたい、そして朝鮮労働党を通じてやってもらいたいということまで、どこを通じたらいいかということまで名指しをされてやってあるのでありますが、しかしその後、何の動きもありません。かくのごとく、その家族は一時大変喜んだのでありますが、今日におきましては年も越え、やっぱりだめだったかと実は全くぬか喜びを嘆いておるような次第であります。
たまたま対外文化連絡協会を通しまして、去る四十五年三月一日、九名から成るハイジャックが羽田で起こり、福岡で給油の上、韓国の金浦空港に着陸、ここは北鮮でないというので再び北鮮の平壌に着陸した、いわゆる「よど号」事件とも呼ばれる犯人の田宮高麿から手紙を受け取ったのであります。全文を朗読いたしてみますと、 何の面識もないのに、突然会見申し込みをする失礼をどうかお許しください。
○政府委員(木内昭胤君) 金日成主席がこの問題について、先ほど大臣が触れられましたように、公的な発言があったわけですが、そうして、事務的には対外文化連絡協会と話を詰めるようにと言われた由に承っておるわけでございます。
○大坪委員 九月六日に、ほぼ時期を同じゅういたしまして、日韓の閣僚会議の共同声明が出されると同時に、日朝議連の代表団と朝鮮対外文化連絡協会との共同声明が発表されたわけでございますが、この二つの共同声明を拝見しながら、朝鮮問題についてやはり私どもは外交政策上ずいぶん考えなければならぬ問題があるのじゃないかということになりまして、本日、朝鮮半島の問題について若干お尋ねをいたしたいと思います。
○鳩山国務大臣 具体的な日朝議員連盟と北鮮側の対外文化連絡協会との間に結ばれましたいろいろな協定あるいは共同コミュニケというものにつきまして、それに盛られております内容につきまして、これが政府と同じ考えであるとかいう点につきまして、政府と全く関係のないレベルで行われたことであると外務省といたしましては考えておりますし、そのように新聞等におきましても発表を申し上げております。
その相手方の窓口であった人は、朝鮮民主主義人民共和国の対外文化連絡協会カン・リャンウク委員長であります。これに対して、日朝議員連盟は超党派の団体でありますが、来日を御要請申し上げておるのであります。また他の人々のほうからも出ております。それについていろいろのやり方がありますが、私どもはこれを公開の場で討論するというような、そういう考え方に立っておりません。
実は七月十八日から二十七日まで十日間、日本社会党朝鮮問題特別委員会を代表し、足鹿団長外八名が朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、二日間の政治会談と、四時間にわたる金日成首相との会談を行ない、その後、朝鮮対外文化連絡協会との間で厳粛に共同声明に調印をして帰国したのでございますが、まず要求したいのは、空間的距離が沖繩よりも、上海よりも近いのに、三泊四日のシベリア回りでは困るのであります。
康長短という対外文化連絡協会の委員長さん、これは朝鮮における任務は皆さん御存じだと思いますが、私どもはこの人を招待している。美濃部さんもその前に招待をなさったのですね。これはやはりいろいろあると思うのですよ。招待をして具体的にいつごろおいでになるかということも言わなければならない。こういうときに、政府が許可しなければ公開論争しましょうなんて、私は美濃部さんの言うようなことは言いません。
したがって、政府は流動する国際情勢の推移と、その将来への展望に立って、この際、対朝鮮政策の転換はかることとし、当面その具体的アプローチとして、このほど日朝議連の訪朝団と朝鮮対外文化連絡協会との間に締結されたあの日朝貿易協定に対しては、政府はこれを実行させるため全面的な協力を与えるべきであると思うが、これに対する政府の方針はいかがでありますか、佐藤総理より御答弁を願います。
実は私、昨年の十月下旬から十一月の下旬にかけまして約一カ月、朝鮮民主主義人民共和国の対外文化連絡協会の御招待をいただきまして、日本と朝鮮の親善友好をはかる団体であります日朝協会の代表として朝鮮を訪問いたしました。
○田中(稔)委員 重ねて文部政務次官にお尋ねしますが、片山氏一行の憲法擁護国民連合の代表と中国人民対外文化連絡協会の代表との間に文化交流に関する協定が結ばれたのであります。その内容は、お互いに相手国の絵画、彫刻、建築、映画、演劇、音楽、文学その他の成果を紹介する展覧会、講演会、出版などの文化交流事業をあっせん実施するということであります。