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6件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1955-12-10 第23回国会 衆議院 外務委員会 第7号

日本ソ連が攻めてきて三日間しか戦っていないのだから戦犯はいない」   一代表戦犯はありえないといわれますが、私たちの夫は満州でソ連に対してスパイ的な行動をしてきたことを知っております」   一代表「私も主人が対ソ諜報をしてきたことを知っております」   一代表「南方にいたら憲兵や私たちのような特務機関であった夫は殺されていたかも知れません」   寺岡氏「戦犯というものを認めるような留守家族とは自分

高津正道

1955-06-09 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

兵でございましたが、仕事が諜報関係でございましたので、対ソ諜報工作の罪名をもって、ソ連陸軍刑法によって十年の刑を受け、豊原刑務所に入れられ、同年十一月、同刑務所におきまするところのソ連軍の将校、下士官、兵にしてソ連陸軍刑法によって処罰されたるソ連囚人とともに、大泊港より貨物船の船底に入れられてウラジオストックへ向けられました。ウラジオにおいて監獄の監房に約一カ月半。

片倉達郎

1953-02-11 第15回国会 衆議院 外務委員会 第16号

つてソ連からの復員者引揚げ当時、舞鶴米軍機関によつて厳重な取調べを受け、その後平和な市民生活に入りました後においても、たびたび出頭を命じられる、場合によつては拷問に類した取調べを受ける、さらにはなはだしきに至つては、対ソ諜報活動に協力を求められたという事例も少くないことは、すでに国民周知の事実であります。

田中稔男

1952-12-26 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

しかもそれが引揚げ当時にさかのぼるようなことも言われておりますから、私は、舞鶴あたりで、そういう米軍関係者、——あるいは日本側関係者もあつたかもわかりませんが、そういう審問というか、尋問というか、いろいろな働きかけがあつて、それがあるいは米軍によつて対ソ諜報機関の人として利用されるというようなこともあつたのじやなかろうかと推測する。

田中稔男

1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号

調査内容としましては、対ソ諜報容疑、二番目には、反共、反ソ宣伝、または反ソ、反共団体編成指導というような二つの容疑者として取調べを受けました。最初ソ軍憲兵、すなわMVDが一名で調べたのでありますが、私の言うことが一応筋が通つておるし、彼らの要求に対して絶対に肯定をしないので、とうとう三人の憲兵が出て来まして、一人は拳銃、一人はナイフで私をおどしつけました。

日高清

1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号

それから戰犯として、調査の対象として取上げられておるところの同胞は、主として対ソ諜報容疑者、あるいは満洲の国境におりました憲兵、特に諜者の検束をやつた憲兵諸君作業違反忌避者、反ソ、反共分子とにらまれて宣伝をする者、終戰時におけるところの対ソ謀略団体、特に奉天におきますところの王さん部隊、最後に思想謀略団体として非常に注目をされていたところの、いわゆる満洲の協和会会務職員というようなものに対して

日高清

1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号

今度帰り得たゆえんのものは、私は結局調査内容は、半分は前職者容疑者、すなわち満洲にあつて対ソ諜報をやつておらなかつたか。半分は反動分子反共分子として、一つの団体を組織し、そうして大木という委員長がおりましたが、これに対するところの暗殺事件をお前は計画しなかつたかというような、ありもしないことさえ言いかけて来たことがあります。

日高清

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