1995-12-12 第134回国会 参議院 外務委員会 第10号
それによりますと、敦化はかつて日本軍の対ソ作戦の重要な防衛線であって、戦略上のかなめであった。したがって日本軍はそこに大量の弾薬を貯蔵していた。そして、基本的には砲弾が地上に積み上げられたり地下に埋設されたりしていた。そして敗戦と同時に遺棄をして、一部は沼地、一部は河川、灌木の中あるいは地中に埋めて日本軍は敗走をしたわけです。
それによりますと、敦化はかつて日本軍の対ソ作戦の重要な防衛線であって、戦略上のかなめであった。したがって日本軍はそこに大量の弾薬を貯蔵していた。そして、基本的には砲弾が地上に積み上げられたり地下に埋設されたりしていた。そして敗戦と同時に遺棄をして、一部は沼地、一部は河川、灌木の中あるいは地中に埋めて日本軍は敗走をしたわけです。
政府は、このガイドラインに基づき、米国のグローバルで攻勢的な対ソ戦略に従って共同作戦計画を策定し、日米共同演習を進めながら、八〇年代を通じて着々と対ソ作戦体制を構築してきたのであります。
その場合、海峡封鎖というのは重要な対ソ作戦の部分でしょう。その部分を担う場合の日米の役割分担が決まってない、これはむしろナンセンスです。現在では日米共同作戦で私は決まっていると思うのですよ。どうお考えですか。
○岡崎委員 そうしますと、対ソ作戦基地として整備しないということでしたら、国防省のジョーンズ部長の意見については是認する立場じゃないということをはっきり明言できますか。
日米の共同的な対ソ作戦を強化しなければならぬ。こういうようなことになると、さっきも申し上げたように軍拡競争がとどまるところを知らなくなる。この対応は日本にとっても大変むずかしい重要なところだと思いますけれども、いま現状はどうなのか、一体このむずかしい対応をどういうふうにされていくおつもりなのか、お尋ねしておきたいと思います。
ですから、川本さんがおっしゃっておるいろいろな資料以上に、きょう私がここへ持ってくる材料は持っておりませんけれども、実際私どもが実感として感じましたことは、確かに開拓義勇団ということで行っておりますけれども、中身はいわゆる当時の状況というのは対ソ作戦に備えていく、そうして非常に匪賊も出てくるというような治安の悪いところで、実質はあの当時の関東軍のいわゆる軍備の足りないところを、再先端に行って義勇隊開拓団
わが国の場合には、先生も御承知のように、周辺諸国と友好関係にございますから、直ちにこれが脅威だというふうには考えておりませんで、軍事的な面から見ますると、最近のこの傾向を見ますと、中国の軍事力というものはやはり対ソ作戦を念頭に置いたような装備の改善というような形であるというふうに私どもは認識しているわけでございます。
これは分担じゃなくて坂田さんの方だけに重みがかかってくるんですよ、対ソ作戦というものを考えた場合には。共同分担というものはぼくはあり得ない。だから、タスクフォースの直営部隊としてあなた方が機能する、その空の上をP3Cが舞う、飛ぶというふうな役割りをしか私は与えられないのではないかと思う。だから、非常にあなた方の考えている方向というのは危険なんですよ。
○三木内閣総理大臣 日本が日米安保条約を結んでおるのは、日本の安全、またそれに関連する極東の平和と安全というものを維持するということで安保条約を結んでおるわけですから、仮想敵国を持って、対ソ作戦のために日米安保条約を結んでおるものではない。どこも仮想敵国を持ってこの条約を結んだのではない。
その他、NATOの中部ヨーロッパ司令長官シュパイデル将軍は、旧ドイツの対ソ作戦の参謀長であった人であります。それから現在西独国防軍の最高司令官——これは西独軍事会議の最高議長でもありますが、このホイジンゲル氏はナチス軍の司令官であった。現在の西ドイツ国防軍は、このようにほとんどが旧ナチス軍の指揮者によって指揮されておるのであります。
しかるに、百年の後になって、今日、アメリカは、ペル刀提督の抱いた野望を実現し、小笠原及び沖縄を対ソ作戦の重要基地として確保するに成功したのであります。(拍手) 日ソ交渉において、政府は、日本が平和条約によってすでにその権利権原及び請求権を放棄した南千島の返還を強硬に主張することによって、ついに事実上両国の国交回復を不可能にしてしまつたのであります。
ここで三時間にわたつて論議をいたしまして、終始抗歳を申しましたが、結局、私の資料がおおむね軍に渡り、それが関東軍の対ソ作戦に直接的なる役割りを演じたに違いないという判定のもとに刑を受けました。これまたやむを得ないと私は思うのです。ロシヤの刑法におきましては、こういうことに対していくら抗議してみても始まりませんので、上告はいたしましたけれども却下されました。
それは、日本が日ソ不可侵条約を結んでおきながら、独ソ戦争が起きたので、直ちに御前会議を開きまして七月二日に近衛文麿公主催の下に開いて対ソ作戦を準備するという決定を御前会議でやつているわけであります。私はこれを見て愕然としたわけであります。それは、こういう決定をしているわけであります。