2009-01-28 第171回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号
男性の四〇%、女性の二五%が教育機関に通った経験があるという、イギリスなんかよりもうんと進んだ教育制度があったんですが、それを全廃して、今までの寺小屋とか修養塾を全廃して新しい共通の教科書によるいす式教育にしました。これは教育の目的を変えたんです。今は教育改革といっても枝葉末節の議論をしておりますが、どのような人材を育てるのか、教育改革を必要といたします。 六番目には首都改革でございます。
男性の四〇%、女性の二五%が教育機関に通った経験があるという、イギリスなんかよりもうんと進んだ教育制度があったんですが、それを全廃して、今までの寺小屋とか修養塾を全廃して新しい共通の教科書によるいす式教育にしました。これは教育の目的を変えたんです。今は教育改革といっても枝葉末節の議論をしておりますが、どのような人材を育てるのか、教育改革を必要といたします。 六番目には首都改革でございます。
そんな活動を実はしてきたんですけれども、今年から食材の寺小屋という活動を始めました。これは皆さんのところに資料をお配りさせていただいておりますが、寺小屋というのは、広辞苑を引きますと子供の子と小さいという字、両方出てまいりますが、私どもは子供の方ではなくて小さい方の寺小屋を使いました。
○中島(章)委員 いずれにいたしましても、ほかの、例えば日本のユネスコ協会が識字のための寺小屋の運動をやっております。これも私は大事なことだと思っているのです。
資源のない小さな島国でありながら明治維新以降の急速な近代化、それ以前にも寺小屋とかいろいろ我が国の教育に対する姿勢というものはあったであろうとは思いますが、少なくともこの明治以降の急速な近代化、現代化というものが明治五年の学制発布に始まって、そういう人づくりにおける基本的な成功が国の経済的発展あるいは国力の伸長につながったことは私は率直に認めていきたいと思っております。
○国務大臣(海部俊樹君) 教育は国家百年の大計といいますが、私は、むしろ四百五十年前の江戸時代にさかのぼって、当時から我が国には寺小屋という独特な国民教育の制度があって、知育、徳育、体育にバランスのとれた教育が行われてきた。こういう長い歴史的な伝統があって、そのもとに、百二十年前の明治維新直後における教育改革の中で義務教育を最優先する。
これは、かつて三百年も前、越中売薬というものを全国に流布するために寺小屋で読み書きそろばんをやりまして、実学を勉強するという地道な姿勢が今日に連なっているのではないかというふうに思っております。現在、NHKテレビで「凜凜と」という朝ドラが入っておりますが、あそこに登場するような、勤勉で好奇心があって、非常に創造的な人材が富山県にはたくさん輩出しております。
我が国の教育は、江戸時代の寺小屋教育を初めとして、明治以来、世界の中でも最高の普及率を示しました。戦後の近代国家日本の建設に、世界が注目する成果を示した原因の一つに教育があったことは、ひとしく認められるところであります。
しかしながら、米州・東南アジア各国においては、寺小屋式の教育施設のもとで現地の日系人が中心となり日本語教育が続けられております。ところが、教師、教科書、教材等が極度に不足を告げているのが現状であります。言葉は文化の交流に重要な鍵であることは言をまちません。一層の御支援、御協力をお願い申し上げる次第であります。
いわゆる民営的に昔の寺小屋みたいなものを考えているのかどうかしりませんが、そういう議論がございますね。それで、小中学校に私学がかかわる度合いというのは今よりも大きくなっていった方がいいと思いますか、まあ、現状ぐらいの方がいいと思いますか。
これは私の幼少のころ、ちょんまげのおじいちゃんから聞かされた言葉ですが、これは実語教、寺小屋時代の教科書のだしか第一ページに書いてある言葉です。ほんの小さいときの話だから頭に残っておりますが、森林、樹木を中心に簡潔にひとつ、どんな状況でどんな問題があるか聞かしていただきたい。
それがだんだん社会を成し、近代国家になりますと、それが寺小屋となり、学校制度となって、小中高と言われておる、まず人間として羽ばたけるところまで育てる。こういう制度をつくったわけでありますから、人間としてまあ何かえさを見つけて生きる道ができるまでは育てるというのがこれは人間の責任、親の責任であります。
昔は寺小屋でやりました。インドあたりに行くと学校もありませんからテントの中でやっているところもありますけれども、日本は非常に教育が進んで学校施設までできた。そこに集まって、特別なそういう職責を持つ先生方をお願いしていわゆる国民の後継者を育ててもらう、そういうことでありますから、そういう使命を持ってひとつやってもらうようにしてもらわなければならない。
第一は、何といっても裁判官の増員であり、第二番目には書記官、調査官の増員であり、あわせて裁判所の、裁判官の判断、極端な言い方をしている人がありますが、前近代的な寺小屋的な裁判官の仕事。それから三番目に、訴訟活動を怠る者について少し不利益な措置をしたらどうだという意見。
私立小学校などは、一時はとにかく義務教育を引き受けたのはいわゆる寺小屋の私立小学校ですが、当時の小学校教育の大体八〇%まで私立が占めていたのです。現在は何と〇・五%です。私立小学校の子供の数が全体の〇・五%、こういう事情です。また中学なども、御承知のようにいま高等学校が千二百五十ほどありますが、中学は幾つかと言ったら四百五十ぐらいですね。
また、数え年五歳のころから寺小屋に通う幼児も例外的には存在したというふうな記述もあるようでございます。
ある意味では、いまの教育がだめだから何かそれとは違ったわれわれの期待できるような学校をぜひつくっていただきたいと、昔で言えば寺小屋式の精神をひとつぴしっと入れていただいたようなそういう学校に期待するというものも私がなり出ているんじゃないかなと。
天智天皇のときに学校というものが始まったと言われておりますが、それ以来貴族の学校にしても、武家学校、あるいは寺小屋にしても、教育史をずっと見てみると、やはり教育、教師というものは知識を切り売りするものではない。
○政府委員(岩間英太郎君) 御案内のように、明治維新によりましてわが国が急速に諸外国との交流を始め、それから諸外国に追いつこうというふうな意図で出発したわけでございますけれども、教育につきましても、やはり寺小屋等の伝統がございまして、明治の初めの識字率、つまり読める率というのは二〇%ぐらいで、これはまあ世界で最高だったのじゃないかということが言われておりますけれども、まあしかし、そういうふうな伝統を
先代萩の母あるいはまた寺小屋における松王の立場、同じような点だと存じます。これは、もうただいま御指摘のとおり、あの当時におきましても、自分の子供を犠牲にするということはきわめてまれであったと存じます。
しかしながら、現状は、教育内容がきわめて貧弱で、専門の施設もなく、校務は大使館夫人の献身的無償奉仕に依存するという寺小屋的なまことに不十分な状況にあり、ワシントンに勤務する父兄の不安の種となっております。 今後はさらに児童数の増加が見込まれるのに伴い、新施設を借用して学級数、講師数をふやすとともに、内容を充実したい意向が父兄の間に圧倒的に強いのが現状であります。