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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2015-07-09 第189回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号

ちょっとこの間説明を聞いていたら、どうも、寮監先生先生じゃないらしいんですけれども、少なかったと。本当にその辺が、国がしっかり支援しているんだろうかという疑問がちょっと湧きましたので、文部科学省としてこれがしっかり支援体制がとれているのかどうか、今後の方針も含めて聞かせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

亀岡偉民

1975-03-06 第75回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号

被害状況でございますが、千葉県から私どもに入りました報告によりますと、まず人的の被害といたしましては、同訓練所寮監をしておった方が一名死亡されております。また打撲傷一名、軽傷十二名でございました。また物的の被害でございますが、家屋の倒壊が一むね、大破が九むね、それから中破といたしましてガラス、ドア、シャッターの破損六十一軒、ガラス破損等が四百八十四軒という報告が入っております。

下河辺孝

1973-12-20 第72回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

これはあなた、「寮監を置いたり、あるいは「当直教官指導教官)」としてありますが、こういうものを置いて学生生活指導をやるんだと、こういうようなことになっておる。そこらから見ると、あなたが言っておる大学自治寮とこの国立高専学寮との間に私は性格的に相当な大きな違いがあるんじゃないか。つまり大学自治寮というのは成年に達した諸君が自治を主体として運営してきたという歴史的な伝統がある。

矢山有作

1973-12-20 第72回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

として、「夕食後における寮監および当直教官指導教官)との懇談」、こんなことをやるかやらぬかはこれは寮生徒の自由でよろしい。「学内教官および学外講師による教養講座」、「寮生全体による文化および体育(スポーツ)行事」、こういうものは一々強要すべき問題ではない、こういう通達をきめて。だからそれはやらないと言えるかどうか。  それから、「学寮には教官が宿泊して指導に当るものとする。」

矢山有作

1972-06-06 第68回国会 参議院 大蔵委員会 第30号

っておりますのは、所帯持ちであろうが、独身者であろうが、これはそれがためにいろいろと差別をするというようなことは考えておらないわけでございますけれども、現実の問題といたしまして、やはり若干研修所と同じような独身寮であるということのために、研修所と若干同じような事実が具体的に起きてくると存じますけれども、たとえば一番端的な例は、病人でございますが、こういったもののケアーは、まさにいまの寮管理人というのは、寮監

赤羽桂

1971-02-23 第65回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号

そしてまた、今日では適当な寮監といいますか、指導者を得るということも非常に困難である。だとするならば、いわば民間あるいは各県において、各県から出ておる学生たちに安い下宿料で、そしてある程度秩序と規律とを重んじて、先輩が後輩をいたわりつつ勉学をさせるという試みがあちこちに行なわれておりますし、それが最近は育ちつつあると思うのです。

坂田道太

1967-05-25 第55回国会 参議院 内閣委員会 第11号

これは在外子弟教育状況でございますが、国内に残していく子弟につきましては、現在これは外務省関係在外勤務者だけについてでございますが、学寮を今年度の予算では新しく建てかえることを認められたのでございますが、寮をつくってしかるべき教育者たる寮監、寮母を置いて監督をするということで、国内国外両面にわたって子弟教育の強化を行なっております。

齋藤鎮男

1962-02-23 第40回国会 衆議院 文教委員会 第7号

いろいろと心配した上で学校がこういうような規定をするということは、ある点わからないでもないわけでありますが、その次に「外出する時は外出簿外出先、要件、出寮時間を記入して寮監承認を受ける。帰寮と同時に帰寮時間を記入」しなければならない、あるいは「通信は父兄承認の範囲内と定めるが、指導上必要と認めた時は本人に開封をうながす事がある。」。

村山喜一

1960-12-01 第36回国会 参議院 法務委員会 閉会後第2号

三時半ごろからその寮に入れたわけでありますが、その後、寮監が五分ないし十五分くらいのたびごとに廊下を通りまして、窓から少年の動向を視察したわけでございますが、本人は、持参いたしましたおすしのお弁当をゆっくり食べて、なおかつ鑑別所の所定の食事もほとんど食べる、変わったところも何もないというので、非常に平穏に推移しておりました。

大沢一郎

1956-06-02 第24回国会 衆議院 法務委員会 第41号

寮監が、私の第一回の授業があるときに、その人に私の授業を選択したらいけないと言って、応接間へ二時間ほどとじ込めて出さなかったのです。そして、それが済んだら、その人が泣きながら兄さんのところへ行った。その兄さんたるや文部省の役人であった。そこで、こういうことをされた、何を言っているか、講座があれば堂々と取れということで、その人は一回の授業を休みましたけれども、その後取りました。

東佐誉子

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