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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2009-02-19 第171回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

先生御指摘の第三海堡でございますけれども、これは明治二十五年から大正十年まで三十年かけてつくられたものでございまして、神奈川県横須賀の観音崎千葉富津岬の間にある浦賀水道の西側に、当時といたしましては世界最高レベル海洋建設技術を駆使して建設されましたけれども、残念ながら、大正十二年の関東大震災で崩壊して暗礁化しました。

須野原豊

1992-03-12 第123回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

内湾ですと、観音崎から富津岬を結んだ線の内側ですと十二万ヘクタールということですね。水の容積が内湾で百八十億立方メートル、いわゆる広い意味での東京湾では五百四十億立方メートル。  こういう規模のところでありますが、歴史的に東京湾というのは江戸の発展あるいは東京発展と同時に東京ごみ処理の、ごみの捨て場にされておった。

新村勝雄

1991-04-26 第120回国会 衆議院 環境委員会 第5号

このうち主なものでございますけれども、浦賀水道の両岸の大半の部分あるいは富津岬周辺あるいは木更津市の地先のいわゆる盤洲干潟といいますか盤の洲干潟といいますか、そういうところであろうかと思っております。  それで、干潟環境保全上の役割でございますけれども、干潟は干潮時に干上がるわけでございまして、非常に多量の酸素供給が得られるわけでございます。

武智敏夫

1968-05-21 第58回国会 参議院 運輸委員会 第18号

政府委員宮崎茂一君) 現在の東京湾の入り口は第二海堡、第三海堡海堡がございまして、航路が湾曲いたしておりまして、したがいまして、まっすぐ富津岬に近いほうに一応水路を新たに掘りまして、つまり二つの航路になると申しますか、そういうふうにして航行の緩和に役立てたいという構想のもとに、現在現地のほうでいろいろ調査をやっております。

宮崎茂一

1962-03-13 第40回国会 参議院 農林水産委員会 第15号

それから、油が相当富津岬の北のほうまで流れていって、そうしてどうしてそれがノリのところに行ったということが確認できぬのかと、こういう御質問と思いますが、確かに乗り上げ事件の発生いたしました翌日の十五日に、私どもの巡視艇が調査したところによりますと、これは十二時、正午ごろの状況でございますが、第二海堡から富津岬の北のほう約千五百メーターぐらいだったと思いますが、その辺まで帯状に油が流れているという状況

松野清秀

1962-03-13 第40回国会 参議院 農林水産委員会 第15号

それから漁民は当日すでに入っておったというのですが、富津岬右側のほうには入った、こう言うのです。そうして青堀付近にずっと入ってしまった。一つはもう北側のほうで滞留しておった、たまっておったというのです。それが流れないであった。それで翌日、あなたが言う十五日のその風で右側に散らばった、こう漁民ははっきり言うておるのです。どうしてその点が食い違うようになるのですか。

清澤俊英

1952-12-03 第15回国会 衆議院 水産委員会 第5号

千葉富津岬から神奈川旗山崎にかけまして、十二マイルの間の防潜網は、おそらく水産委員の皆様は専門の方々でございますのでおわかりでございましようが、ワイヤー・ロープ八寸目の網を海上から海底にかけて張りめぐらしますならば、いかなる小さい魚も中へは入つては来ない。すなわち回遊魚が一匹も中へは入らないというのが実態であります。

篠崎長次

1952-12-03 第15回国会 衆議院 水産委員会 第5号

しかしながらこの南の方には防潜網聴音機というものがあつて、十七平方マイル投網禁止投錨禁止、それから富津岬、旗山崎まで東西十二キロ、南北五キロばかり、この間投網投錨ともにできません。すなわちこれは地域提供と考えるのであります。将来法的根拠を与えます上においてこれを間接被害とするか、あるいは地域提供を認めるかということで大いなる違いを生じて参るのであります。

中村庸一郎

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