2020-03-09 第201回国会 参議院 予算委員会 第9号
○国務大臣(麻生太郎君) 村山富市内閣、御記憶かと思いますが、村山富市内閣のときに何が起きたか。阪神・淡路大震災が起きました。あれ、一月何日だったんだと記憶しますがね。したがいまして、当該年度は前年度の予算でということになりますので、補正予算を組ませていただいたのが二月、それが最近の例です。
○国務大臣(麻生太郎君) 村山富市内閣、御記憶かと思いますが、村山富市内閣のときに何が起きたか。阪神・淡路大震災が起きました。あれ、一月何日だったんだと記憶しますがね。したがいまして、当該年度は前年度の予算でということになりますので、補正予算を組ませていただいたのが二月、それが最近の例です。
当時、そんな先生に、村山富市総理は絶大なる信頼を寄せておられました。 自社さ連立政権下、少人数ながら与党の一員として活動を続けてきたさきがけでしたが、党勢拡大は思うように進まず、平成十一年、解散に追い込まれ、先生は政界再編の意欲を秘めつつ、自民党に復党されるのであります。 復党後、先生は、党の政調会長代理のポストを得て、盟友与謝野馨先生を党の財政改革研究会の会長に担ぎ出されました。
かつての大河原太一郎農水大臣以来、二十三年ぶりのことだそうでございますが、実は、大河原大臣のときには自社さ政権のときでございまして、我が大分県出身の村山富市内閣のときでございましたので、私も非常に感慨深いものを感じております。 環境行政に精通されて、環境により大きい関心をお持ちの中川大臣と、この環境委員会で論戦することができること、非常に楽しみにしております。
一ページ目の村山富市、後に総理大臣になった方でありますけれども、この三島の会社の経営について黒字でやっていけるという確信を持って明言できるのかと。あるいは、公明党の西中さん、一番心配なのは三島の経営である、仮に収益が悪化した場合、基金の積み増しを考えておられるのか。あるいは関山さんも、責任の所在は一体そういったリスクの場合どうなんだと。
あなたは村山富市内閣の文部大臣秘書官、私は通産大臣秘書官ということでお知り合いになった以来の関係でございます。 当時、思い起こせば、金融接待スキャンダル、大蔵接待疑惑、官僚への風当たりが非常に厳しい、私も官僚でしたね、秘書官として。あなたもそうでした。
こういったことをやるときに、私たちは、これは総理もメンバーでいらっしゃいましたが、一九九九年に、中山太郎先生と、村山富市さんが最高顧問でした、二百四十名の国会議員団で作りました少子化社会対策基本法、これは解散を挟みまして四年掛かってやっと二〇〇三年にでき上がった法律ですが、これをベースに、今言っていただいている、総理が夢を紡ぐという言葉を使っていただくのは、法律で初めてこの議員立法の少子化社会対策基本法
昨日も、自民党の元総裁の河野洋平元衆議院議長や、それから自社さ政権で一緒に支えた村山富市元総理も、ここで立ちどまって、この法案を一旦取り下げたらどうかというお話が出てきております。また、特に中谷大臣と私に縁が深い山崎拓元自民党副総裁は、憲法改正論者の、戦後をリードしてきた方です。周辺事態法の議論のときはたしかその席にお座りで、委員長だったと思います。
一度に最も多く出したのは、外遊で村山(富市首相)に持たせた約一千万円だろう。夏休みと言っても彼には別荘も何もないから「何とかならないか」と相談されて、那須での滞在費を出したこともある。 会計検査院は、こうした機密費の使い方について、問題を指摘してきましたか。
また、お尋ねの「村山談話」は、平成七年八月十五日に、戦後五十周年の終戦記念日に当たっての政府の見解として村山富市内閣総理大臣から発表したものである。」 骨子を聞いて、これだけしか答えていないんですね。 そもそものこの主意書答弁が不誠実なんですね。聞いていることに対して、中身を答えることなく経緯だけを答えている。
そして、村山談話につきましては、平成七年八月十五日に、戦後五十周年の終戦記念日に当たっての政府の見解として、村山富市当時の内閣総理大臣から発表したものであります。
実は、五十年談話は、自社さ政権でしたから、村山富市総理の村山談話、当時、私は使いっ走りをやらされました。ここではっきり申し上げますが、当時、自社さ政権、与党は自社さですが、五十年談話は自社さの中で綿密に協議をしたということだけは申し上げておきます。
さて、そこで、今日でありますけど、国内的要因といたしましては、社会党の委員長の村山富市首相が首相になったとき、自衛隊合憲、日米安保条約堅持を主張なさいました。これによって、国内的な世論、特に国会の中での議論がかなり変わったように思うんです。それから、世論も現実的な安全保障観へ変容してきております。
こうした国際的な環境の変化に応じて人間の安全保障というものが提唱されて、我が国としても、政府として発言の最初のものとしては、国際社会に発信をした最初のものは、社会開発サミットでの村山富市首相演説、九七年の国連環境開発特別総会での橋本龍太郎首相の将来の世代に対する責任と人類の安全保障を強調した演説があります。
村山富市元内閣総理大臣、全国都道府県県議会議長会、鳩山由紀夫前総理、仙谷由人官房副長官、古賀伸明連合会長、稲盛和夫日本航空会長、渡部恒三元衆議院副議長、十人以上の方があなたに退陣を求めておりますが、この中で特筆すべきものは全国都道府県議長会の会長の退陣決議であります。この決議は被災地であります岩手、宮城、福島の議長が共同提案したもので、被災地からあなたにはノーが突き付けられたのであります。
実は、ことしの三月三十日に、村山富市元首相は、ある席で、拉致問題に対する北朝鮮の姿勢は理解できる、日本の一方的な要求によって交渉が決裂したが、交渉というのは相手の言い分をよく聞くことが重要だ、確かに主権侵害だが、現状において拉致の解決は困難であり、双方が納得のいく決着をつけることが最良の解決策である、日本にとって北朝鮮は隣国であり、国交がないのは不自然であるとおっしゃっています。
最初の会長は村山富市さんですよ、社会党の総理大臣された方、二代目が山崎拓さん、三代目が麻生太郎現総理が議員連盟の会長ですよ。不肖自見庄三郎、副会長していましたからよく覚えておるんですよ。 それで、その中で、大体こういうのは計画されて十年、二十年たつんですよ、大体。新美術館、これね、国立新美術館も大体二十年掛かっているんですね、構想からいろいろ基本計画、基礎計画、いろいろ。
戦後五十年の節目となった平成七年、当時の村山富市総理が出しました談話が十三年経てなぜまた注目されるのかといえば、それは、自衛隊の当時の田母神俊雄航空幕僚長が発表いたしました論文をめぐり、昨年十月に更迭されたことに端を発します。 田母神前幕僚長は、「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」とする論文を発表いたしました。
○国務大臣(与謝野馨君) 消費税を最初つくりましたのは竹下内閣の時代で、その後、三%から二%にするときには御党の村山富市総理のときでございました。これが実施に移されたのは橋本龍太郎内閣の時代でございました。 我々は、むやみやたらと国民に負担の増加をお願いしているわけではありません。
同時に、様々な困難な中でこの基金の運用を貫いてこられた故原文兵衛前理事長、村山富市理事長を始めとする関係者の方々が払われてきた努力に改めて深い敬意を表しています。 過日、解散式に政府を代表して私も出席いたしましたけれども、基金は御指摘のとおり今月末に解散します。基金解散後も基金の事業に表れた日本国民と政府のこの問題に対する真摯な気持ちに理解が得られるように、引き続き努力をしていく考えです。
ただいまの大臣の答弁でちょっと、おや、変わったんだなと思ったのは、これは平成七年の二月の十七日ですが、内閣総理大臣、大分県出身、村山富市氏が、参議院の議長の原文兵衛さんに答えを出しています。ガラス固化体に関しての、容器に関してのものなんですが、これに関してはこういうことを言っていますね。国が当該仕様の確認を行うような法令に基づく制度はないとおっしゃっています。今の御答弁とどちらが本当ですか。
これに対して、村山富市当時総理が「政府が政党に対して中立公正であるべきことは当然なことだと思いますから、厳正に対処していきたいというふうに思います。」と、こういう答弁がなされているわけです。 そこで、まず法的な関係、そしてこの賃料が適正なのかどうか、これが今ずっと問題になってきたわけでございますので、この辺、私の方で調査させていただきました。