2008-02-20 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第2号
例えば、我が地元の富士山ろく、ここは、主要幹線道路であっても片側一車線、大型車がすれ違えない。もちろん、そこは通学路になっていて、子供たちが毎日通学している。当然、歩車分離はありません。こういうところが現にいっぱい存在しているわけです。
例えば、我が地元の富士山ろく、ここは、主要幹線道路であっても片側一車線、大型車がすれ違えない。もちろん、そこは通学路になっていて、子供たちが毎日通学している。当然、歩車分離はありません。こういうところが現にいっぱい存在しているわけです。
我が地元の富士山ろくにおきましては、移動手段のほとんどが車であり、車でなければ移動ができない状況にございます。しかしながら、主要幹線道路に関しましては片側一車線のところが多く、所によっては大型車がすれ違えないような狭隘な道路が多々ございます。そうした中で、日常生活、市民の皆さん、大変渋滞の苦痛にさいなまれておりまして、単に渋滞だけではなくて、交通事故も多発するような地帯となっております。
国道百三十八号は、富士山ろくを通過する幹線道路でございます。先生御指摘のように、交通事故それから渋滞、これが多発している路線でございまして、特に富士吉田市内におきましては、新屋地区三キロの区間で渋滞長が千五百メーターを超える交差点が三カ所ございます。死傷者の事故の発生も県平均の五倍ということで、非常に高うございます。
まず第一番は、やはり大規模な交流イベントを行ってやっていきたいということで、既に去る二月一日には、昨年に続き二度目となりますけれども、中国の方々が徐福伝説に基づいて富士山への強いあこがれの気持ちを持っておられるということを踏まえまして、富士山ろくの富士急ハイランドにおきまして中華圏の観光客を対象とするイベントを実施いたしまして、二千五百人が御参加をいただいたと聞いております。
私が賛成したのは、昭和五十一、二年ごろに、関東大震災七十年周期説というのがありまして、そのころ富士のすそ野へ、富士山ろくへ国会を移転なんという話がありました。当時私は県会議員をやっていまして、これはすばらしいな、日本の国会を富士山をバックにやったら世界一の国会議事堂になるなと思って、そのときから急激にこの首都機能移転、国会移転というものに関心を持ちました。
先ほども申し上げましたように、この首都機能移転という問題は、非常に長い歴史を持って、バブルの前から、昭和三十年代の半ばには磯村英一さんの富士山ろくの話、あるいは河野一郎さんの話等々、幾つかの提案がなされて、やはり時々に、日本のあり方の問題として常にとらえられてきた問題であるというふうに思います。 そういう意味で、単にバブルのときの話だという問題ではない。
首都機能移転につきましては、昭和三十年代からさまざまな議論がされておりまして、本県ではその都度、富士山ろくとか浜名湖周辺が話題として上ってまいりましたけれども、昨年一月に国会等移転審議会におきまして本県西部地域が調査対象地域とされ、今日に至っておるわけでございます。
私は富士山ろくにいますから、あの富士山のすそ野を、新潟の原発から東京へ持ってきているわけですね、送電。それから、昔から富山の方だとか等々の送電線が延々と富士のすそ野を東京に向かって関東のエネルギー供給として走っているという歴史を見る。
大みそかの夜から元旦にかけて、毎年山梨県の富士山ろくの河口湖周辺を集団で暴走する初日の出暴走についてお尋ねいたします。 ことしも関東近県から暴走族が集まり、鉄パイプを振り回したり蛇行運転など、無謀な集まり方をして、沿線住民や他の通行者に騒音や通行妨害、渋滞等の迷惑をかけるだけでなく、危険を感じさせる事態が発生しております。
次いで、関係者の方々と視察委員との間で、富士山ろくを移転先候補地にしなかった理由、県民の移転に関する意識調査をする必要性などについての意見交換が行われました。 以上が委員会視察の概要であります。 なお、視察に当たりましては、地元関係者初め多数の方々の御協力をいただきました。ここに深く謝意を表しまして、報告といたします。 ————◇—————
私たちは、富士山ろく地域で、年に何回か、みんなで山を見る会という形で林野庁の労働者と一緒に歩くわけですね。荒れているとか、おくれているというところを見ると、地域の人たちは、ここが不在村なんだというのが指摘されるわけでありまして、そういう面ではその点の対策というものはすごく私は重要ではないだろうかなと。
あのとき、富士山ろくに国会を移すとか、これは地方にあって大変ロマンのある話だなという、非常にそういう思いで眺めておったわけですが、平成二年に国会に出てきました。バブルでどうしようもない状況下で、国会決議も、移転の決議もいたしたわけですが、何だかんだいろんな改革運動で若干この首都機能移転問題がまた横滑り始まったかなと思ったときに、実はあの阪神大震災が起こったのですね。
この実弾演習を本土に持ってこようとすると、例えばの話、富士山ろくに撃ち込むのだって嫌だという、そういう状況のことが生活している道路越えに行われるとか、飛行機についての騒音協定がなかった。それから、移動と称する行軍ですね。朝早くあの体格のいい若者たちががっさがっさと行軍する。
そういう意味で、周知のことではありますが、昨年、松本市におけるサリン事件、それから年が明けてから公証役場前の拉致事件、それからその間にサリン関係の物質が例の富士山ろくのオウム真理教の近くで見つかったとか、そうしたことで警察当局が仮谷さん拉致事件について捜査に取り組んでいるさなかに地下鉄サリン大量殺人事件が発生した、まことに驚くべき事件が起こったわけであります。
○古堅委員 アメリカ側から、県道一〇四号越え演習にかかわる問題で、もっと具体的に言えば富士山ろくでやってもいい、それでその移転に要する費用は日本側が負担してほしい、そういう趣旨の話というのが持ち込まれているんじゃないのですか。そういうことについて具体的に検討し、何か結論を出そうなどという方向にはないのですか。
いずれにしても、私ども、富士山ろく等におきましてそういう地域の開発をするという場合に、当然地元の意向というのを尊重しながらやっていかなければいかぬわけでございまして、先ほど言いました水の条件、その他客観的ないろいろな条件もありますし、また、地域の方々のいろいろな意向というものも考えていきたいと思っています。
○馬場政府委員 お尋ねのように、富士山ろく地域につきましてヒューマン・グリーン・プランの事業対象として検討するということがありまして、あらかじめその地域の自然的条件あるいは土地利用規制等社会的条件、さらに、周辺の開発動向、地元地域の意向等総合的に検討する、また、森林の他の機能との調整を図るという観点から事前調査をしたことは事実でございます。
この問題は、実は私も新聞記者になりまして三十二年になるわけでございますけれども、駆け出しのころから問題になっておりまして、私が建設省担当のころも、河野一郎建設大臣が富士山ろくに首都を移転したらどうだ、こういう構想も飛び出したりしまして、本当に相当の期間議論をやっている。しかし、結局議論だけに終わってきているわけなのですね。
例えば富士山ろく移転というようなことが大分前に言われたことがございますが、富士山ろくというのは、富士山が活火山なんですね。
ですから、もう既に千葉県でも、また富士山ろくでも、いろんなところで安全であるはずの安定型処分場の下流からシアンや砒素が出ているという現実があるということをもう少し危機的に私は重視していただきたいと思うわけです。時間がありませんので、なぜ安全であるはずのところからシアンや砒素が出るのかというのをひとつお答えいただきたい。
そのことを考えてまいりますると、あの富士山ろくといったようなものの広さは、これは少なくとも国会や若干の政府機関が行ってもあそこに立地できるぐ「らいの空間はあるというのを、実際に調査をしました上で私は発言をしたわけでございます。それ以外に、私どもが予想したような新しい国会のセンターをつくるようなところは簡単にはございませんでございます。
直截的な伺い方なんですが、磯村先生の御持論の中で、遷都、これで具体的に富士山ろくの広大な土地が注目に値するというお話がかなり前にございました。その後どういうふうにお考えか。
それからもう一つは、現在、香川県だとかあるいはまた福島県だとか、あるいは大阪府だとか千葉県の君津市だとかあるいは静岡県の富士山ろくだとか、あちこちで大きな不法投棄の実態がいろいろと報道されております。
数え上げれば枚挙にいとまがありませんけれども、君津、それから富士山ろくでは、本来有害物は含まれていないはずであるのだけれども、安定型の産業廃棄物の最終処分場の下から、それから下の沢あたりから砒素やシアン、こういった猛毒な有害物が流れ出ている、これが実態なんです。