1955-05-12 第22回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 一九四六年の八月までハルピン市中に住んでおりましたが、その当時の日本人人民委員会の会長からの依頼によって、ハルピンへ避難して来ました人たちの救済を目的とした技術営団、いわゆる工場営団を作るために技術者を必要とする、その履歴書を出せと申しますので、自分は履歴書を提出いたしましたが、それが留用される原因となったのでありまして、そうしまして、一九四六年の八月から一九五三年の集団帰国が始まるまで昔の東安地区の密山炭田 鹿養徳一