2015-12-11 第189回国会 参議院 文教科学委員会 閉会後第1号
ところが、日本のゴルフの一部の利害関係者が二〇二〇東京招致委員会というのをつくって、ここでゴルフ会場を設定しようということですが、国際試合の実績のあるコース、これ、霞ケ関は五十年以上も前に中村寅吉さんたちがジャパン・カップとかいう、昔一回だけ国際大会をやったことがあるんですよ。それを、うちはあると言うわけですね。若洲はないだろうと、こう来るわけです。
ところが、日本のゴルフの一部の利害関係者が二〇二〇東京招致委員会というのをつくって、ここでゴルフ会場を設定しようということですが、国際試合の実績のあるコース、これ、霞ケ関は五十年以上も前に中村寅吉さんたちがジャパン・カップとかいう、昔一回だけ国際大会をやったことがあるんですよ。それを、うちはあると言うわけですね。若洲はないだろうと、こう来るわけです。
最近起りました事件で、新潟県三島郡越路町大字岩野に、野上寅吉という五十六才の農業に従事しておる方がおいでになったのでございますが、この方が、昭和三十四年六月二十三日午後六時ごろ、付近の同じく新潟県下の小千谷市三仏生という地先を歩いておりました。
函館から昔代議士に出ました大島寅吉という人がありますが、この人がこれではとてもあぶないからというので、おろしてくれということを言つた。ところが桟橋から橋をとつてしまつておりることができない。頼んで頼んで下の方から引上げておろしてもらつたということを言つております。おりた者も十二、三人あるはずだと思いますが、その点いかがですか、おりた人の数は……。
今追放になつた安藤正純、中野寅吉という民自党の大幹部が來て呉れまして、盛大な発会式をやりました。そのときに安藤先生に頼んで、正式に入党届を出してあります。私は入党届が返つておりませんから、私は超民自党員であるという考えです。昭和二十一年の一月十五日、大宮市松竹館におきまして、これは大会を開きまして、民自党の同志の県会議員及び衆議院議員及び前代議士は全部集まりました。
元総理大臣山本權兵衛氏の秘書官村上貞一氏は吉田現首相と戦時中同一獄中にあつた関係上、本件の実際上の責任者後藤幸政氏との間に介在して本件を進めておつたことを私、宮東が昨年七月ころ後藤氏宅浦和市本太において聞き取りたり、このとき中野寅吉氏も同席せり。なお、この問題は中村嘉壽氏がGHQ方面に活動した結果、司令部が信用するに至れり。その後前記後顧氏は死亡せり。
○榊原(亨)委員 先ほどわが党からは長谷川君が提出者になつておりますが、これを中野寅吉君にしていただきたい。またあるいは変更するかもしれません。
○中野寅吉君(続) お互い四百六十六人は、すなわち國民の行動の中心であります。この中心がぐらぐらしてはいけません。もう少しわれわれ四百六十六人は、すなわちこれ日本を寝せ起しするという勇氣を持つてもらわなければならぬ。すなわちみんなは、おれは國会議員なりという矜恃を持つておらなければなりません。決して私はのんきに演説しているのではない。石田さん氣をつけろ。
○中野寅吉君(続) はい。要するに吉田様は、この時勢をよく見て、そうしてまずこの職を退く、そうして國管問題で疑惑になつているのだから、ここで決議案が成立しても、四日間か五日間後において解散をするならするべし、また辞職するならするべし、よく四、五日間考えて、國家のためにやつてもらいたいということを申し上げて私の結論といたします。(拍手)
○中野寅吉君 私は、新自由党を代表して本案に賛成する意見を述べます。 労働争議の早急なる解決は皆望んでおるのであります。だれも、けんかしたい人はないです。そこで、ただいまは何よりも産業が第一であります。解散よりも生産が第一であります。(笑声、拍手)そこで労働、すなわち生産の段階における労働の價値は、寅吉が申すまでもなく、皆様がよく御承知である。労働なくしては生産はできません。
昭和二十三年十二月十三日(月曜日) 午後零時開議 出席委員 委員長 原 健三郎君 理事 奥村 竹三君 理事 片島 港君 磯崎 貞序君 江崎 真澄君 加藤隆太郎君 白井 佐吉君 本間 俊一君 海野 三朗君 大島 義晴君 田島 房邦君 橋本 金一君 竹山祐太郎君 宮村 又八君 中野 寅吉君
正吉君 境 一雄君 成田 知巳君 正木 清君 佐伯 宗義君 志賀健次郎君 橘 直治君 矢野 政男君 成重 光眞君 出席政府委員 運輸政務次官 片岡伊三郎君 運輸政務次官 加藤常太郎君 運輸事務官 藪谷 虎芳君 委員外の出席者 議 員 中野 寅吉君
○中野寅吉君 簡單に申し上げます。今高瀬さんから御紹介願つて、政府委員から御答弁がありましたが、相当利益のある鉄道でありますから、どうぞ特に政府においても心を入れて御調査願いたいと思います。板谷トンネルは電化になりましたけれども、御承知の通り非常にあれは牽引力が少いのであります。それを今請願した鉄道ができますと、牽引力が板谷を通る倍以上も殖えるということでございます。
山下 春江君 吉田 安君 米田 吉盛君 井出一太郎君 石田 一松君 今井 耕君 大島 多藏君 川越 博君 木下 榮君 吉川 久衛君 小枝 一雄君 河野 金昇君 酒井 俊雄君 笹森 順造君 多賀 安郎君 豊澤 豊雄君 内藤 友明君 松原 一彦君 松本 瀧藏君 三木 武夫君 谷口 武雄君 寺本 齋君 中野 寅吉君
昭和二十三年十二月八日(水曜日) 午後一時五十八分開議 出席委員 委員長 原 健三郎君 理事 奥村 竹三君 理事 五坪 茂雄君 理事 林 百郎君 磯崎 貞序君 森 直次君 稻村 順三君 川島 金次君 田島 房邦君 佃 良一君 竹山祐太郎君 宮村 又八君 中野 寅吉君 出席國務大臣
彪君 坂東幸太郎君 一松 定吉君 福田 繁芳君 舟崎 由之君 細川八十八君 堀川 恭平君 三好 竹勇君 村瀬 宣親君 最上 英子君 矢野 改男君 安田 幹太君 山崎 岩男君 山下 春江君 早稻田柳右エ門君 宇都宮則綱君 大瀧亀代司君 久保 猛夫君 榊原 亨君 鈴木彌五郎君 世耕 弘一君 寺本 齋君 中野 寅吉君
君紹介)(第五二六号) 八五 中濱港修築の請願(大石ヨシエ君紹介)( 第五三一号) 八六 直江津、六日町間鉄道敷設の請願(塚田十 一郎君紹介)(第五三三号) 八七 南遊佐村地内に停車場設置の請願(圖司安 正君紹介)(第五三五号) 八八 足立、上石見両駅間に停車場設置の請願( 近藤鶴代君紹介)(第五三六号) 八九 若松、白河間鉄道敷設又は國営自動車運輸 開始の請願(中野寅吉君紹介
昭和二十三年十一月二十九日(月曜日) 午後二時二十二分開議 出席委員 委員長 原 健三郎君 理事 奥村 竹三君 理事 片島 港君 理事 五坪 茂雄君 理事 林 百郎君 磯崎 貞序君 本間 俊一君 森 直次君 大島 義晴君 川島 金次君 竹山祐太郎君 太田 典禮君 中野 寅吉君 出席國務大臣
名紹介)(第五二六号) 八五、中濱港修築の請願(大石ヨシエ君紹介)( 第五三一号) 八六、値江津、六日町間鉄道敷設の請願(塚田十 一郎君紹介)(第五三三号) 八七、南遊佐村地内に停車場設置の請願(圖司安 正君紹介)(第五三五号) 八八、足立、上石見両駅間に停車場設置の請願( 近藤鶴代君紹介)(第五三六号) 八九、若松、白河間鉄道敷設又は國営自動車運輸 開始の請願(中野寅吉君紹介
特に、北九州地区のいわゆる旧互助会のメンバーが、北九州石炭株式会社の職員とともに総力をあげて活躍したことは顕著でありまして、その運動の指導者ともくすべきものは、竹内禮藏、木曽重義、原口秀雄、上田清次郎、田籠寅吉、野見山佐一の諸君であります。その他、藤井則文、橋上保、渡邉正夫、田籠勝、有吉満の諸君等三十数名の石炭業者がこれに協力して活発に動いたと思われるのであります。
富山港線拂下反対の請願(矢後嘉藏君外二名紹 介)(第五二六号) 中濱港修築の請願(大石ヨシエ君紹介)(第五 三一号) 直江津、六日町間鉄道敷設の請願(塚田十一郎 君紹介)(第五三三号) 南遊佐村地内に停車場設置の請願(圖司安正君 紹介)(第五三五号) 足立、上石見両駅間に停車場設置の請願(近藤 鶴代君紹介)(第五三六号) 若松、白河間鉄道敷設又は國営自動車運輸開始 の請願(中野寅吉君紹介
延岡國道改修工事促進の請願(川野芳滿君 紹介)(第五六号) 一〇 久根別川溢流溝開設に関する請願(冨永格 五郎君紹介)(第五七号) 一一 天龍川堤防復旧費國庫補助の請願(川合彰 武君紹介)(第九四号) 一二 伊作川改修工事施行の請願(上林山榮吉君 紹介)(第一〇〇号) 一三 丹野川改修工事継続施行の請願(竹山祐太 郎君紹介)(第一〇一号) 一四 迫川沿岸改修工事施行の請願(中野寅吉君
日程第一四、迫川沿岸改修工事施行の請願、中野寅吉君外六名紹介、文書表第一〇二号。 日程第一五、基北川及びアイヌ川改修工事施行の請願、坂東幸太郎君紹介、文書表第一〇三号。 日程第一六、美瑛川護岸工事施行の請願、坂東幸太郎君紹介、文書表第一〇四号。 以上を一括議題にいたします。紹介議員が欠席でありますので、專門員の説明を求めます。