2018-04-18 第196回国会 衆議院 外務委員会 第9号
例えば二〇〇五年でいえば、七月四日に百七ミリロケット弾が宿営地に向けて五発発射され、宿営地に一発、宿営地近傍に四発の着弾があったと。二〇〇五年七月一日、二日、三日、そして五日というふうに日報はなっているんですね。もちろん、五日の日報には四日の事案についても触れてありますけれども、肝心の四日がないとか、何かおかしいなと。
例えば二〇〇五年でいえば、七月四日に百七ミリロケット弾が宿営地に向けて五発発射され、宿営地に一発、宿営地近傍に四発の着弾があったと。二〇〇五年七月一日、二日、三日、そして五日というふうに日報はなっているんですね。もちろん、五日の日報には四日の事案についても触れてありますけれども、肝心の四日がないとか、何かおかしいなと。
それによりますと、七月十日、日本隊宿営地近辺において銃撃戦及び戦車による砲撃事案に加え、迫撃砲の弾着が国連トンピン地区近辺で発生をしていたこと、また、多数の国内避難民が宿営地近傍に所在していること等を踏まえ、UNMISS司令部の要請を受け、天幕等の貸出し、構築支援等を九日から十日にかけて実施をしたこと、さらには、日本隊宿営地南西で激しい銃撃戦があり、流れ弾が宿営地にも飛来した模様であることについて報告
○稲田国務大臣 平成二十五年当時は、日本隊宿営地近傍にて銃撃音を確認、そして、不測の事態に備えるため、隊員は防弾チョッキ等を着用するように安全確保に努めたところでございます。 そして、自衛隊を派遣する以上、全く安全という状況はあり得ないものでありますし、しっかりと訓練をするのは当然のことだと思っております。
○稲田国務大臣 七月七日夜以降、ジュバにて発生した衝突事件については、当時、日本隊からは、宿営地近傍で断続的に政府側、反政府側間で生じたと見られる銃撃音が聞こえていたこと、これらの発砲は日本の宿営地を狙ったものではないと見られる旨が報告されています。
第一次イラク復興支援隊が活動を開始した直後の平成十六年四月七日及び四月二十九日に宿営地近傍に迫撃砲弾が着弾する事案の発生。あるいは、平成十六年十月三十一日、発射されたロケット弾は、駐屯地内の地面に衝突した後、鉄製の荷物用コンテナを貫通して土壌に当たり宿営地外に抜けており、一つ間違えば甚大な被害に結び付いた可能性もあった。
活動当初は、食事はレトルト食品のみで、風呂もなく、タオルで体をふいていたと聞いておりますし、また、活動開始から間もない平成十六年四月、宿営地近傍に迫撃弾が着弾するなど、治安状況が不透明な中にあって、遠いイラクのサマワで復興支援活動を軌道に乗せるまでには並々ならぬ苦労があったと聞いております。そのような中で、音楽隊所属の隊員による楽器演奏が大変楽しみだったとも聞いているのであります。
給水活動に関しましては、二月四日から、ODAにより供与した浄水設備のうち、宿営地近傍の二基が稼働を開始したことに伴い、二月五日以降、陸自による給水活動は実施しておりません。なお、昨年三月二十六日から本年二月四日までの給水量は、合計で約五万三千トンです。
また、七日、サマワの自衛隊宿営地近傍にて爆発音が三回あったことが確認されておりますが、自衛隊員及び外務省職員に被害はありませんでした。また、日本時間九日でございますが、宿営地よりCPA方向で爆発があったことが確認されております。