2020-04-06 第201回国会 衆議院 決算行政監視委員会第四分科会 第1号
赤羽大臣はおわかりだろうと思うんですけれども、鈴木家の家訓なんです、漁民のために尽くせなんです。今の鈴木俊一自民党総務会長は、知りませんけれども、お父さんの命令で全漁連に勤めさせられています。そしてこれも、この後の、国会議員にもなっていないんですが、鈴木善幸さんが亡くなってすぐまた鈴木俊一さんが理事長なんです。 そのときの鈴木善幸総理のことは忘れられないんです。今の、漁民のために尽くせですよね。
赤羽大臣はおわかりだろうと思うんですけれども、鈴木家の家訓なんです、漁民のために尽くせなんです。今の鈴木俊一自民党総務会長は、知りませんけれども、お父さんの命令で全漁連に勤めさせられています。そしてこれも、この後の、国会議員にもなっていないんですが、鈴木善幸さんが亡くなってすぐまた鈴木俊一さんが理事長なんです。 そのときの鈴木善幸総理のことは忘れられないんです。今の、漁民のために尽くせですよね。
町内の方々がみんな集まって村田さんの火事を消しているときに、自分だけ家訓だからといって隣の家の火事を消しに行かないというのは、私は解せないと思うんですが、そこのところをちょっと御説明いただけないでしょうか。
議事録を精査すればわかることですけれども、現地を見なかったということに対して、つかさつかさに任せるのが宮沢家の家訓でございます、こういうお答えぶりをされました。現地を見ないのが宮沢家の家訓だとしたら、私はちゃんちゃらおかしくて、そんなことはないと。
三方皆よしとかいう言葉がありますけれども、要は、今の言葉でいうと、たくさんあるステークホルダー、そういった人たちの大きな利害といいますか、そういうものを背景にして、長い間の信用と足場を固めながら進んでいくことの大切さを、それぞれの続いてきた商売のおうちの家訓などでそういうことが言われている例も多いんだろうと思います。
私が、地方、ローカルに徹するということを私どもの家の家訓でもあったのにもかかわらず国会に出てきたのも、このことが大きな要因になったことも事実であります。 私は、国会議員にならせていただいて、本当にすばらしい先輩たちにお会いすることができました。そして、国家を憂い、国家のために自分の身を投じる先輩たちに本当に崇高の念を抱いています。
○新藤国務大臣 まず、今、井上家において、そういった地域への奉仕活動、これを家訓とし、また家の目標としてお務めになられてきた。また、今いろいろなこれまでの取り組みを御紹介いただきました。まことに意義ある活動をされている、このことに敬意を表したいというふうに思います。
私も、ローカルではありますけれども、その地域を守るために、親子三代、ローカルに徹するということ、そして、困難に立ち向かうことを喜びと思えということがうちの家訓でもございました。 消防団員は、一時百三十万人を超える方々がいらっしゃいました。ですけれども、今人員はどんどん減って、いろいろな環境状況があります。そういう中から、八十七万人程度の人員に減ってきております。
何もない空間ではありますが、掛け軸をかけることによって、家訓であったり、また季節の言葉であったり、花を生けることによってまた違う意味がある。また、慶事であったり、葬儀のことであったり、さまざまなものに、何もない空間が、創意工夫で使われる。この部分というものは、日本人の非常に豊かな感性を育てたものの一つだと思っております。
私の家は、私は住職の妻でございまして、我がお寺は聖徳太子がお建てになったお寺でございますので、紫雲山頂法寺六角堂と申しますが、和をもってたっとしは家訓でございます。
非常に手前みそな話をいたしますと、私は近江商人の末裔なんですけれども、近江商人というのは、質素倹約とか誠心誠意とかいうことの普通の家訓以外に、三方よしということを言っているのです。売ってよし。もうけなければ商売にならないから、売ってよし。買ってよし。買った人は、いいものをいい値段で手に入れたということで、よかったと。普通それで終わりなんですけれども、そして、世間よし。
近江商人が江戸時代に、普通、商人というのは質素倹約とか誠心誠意とか言うんですけど、三方よしということを家訓として語り継いできました。売手よし、売って当然もうけなければいけない、利益を出さなければいけないと、売手よし。買手よし、これは、買手は適正な値段でいいものを手に入れたという買手よし。普通これで終わりなんですけど、近江商人は、そして世間よしと言いました。
といいますのは、私も、私の経験からばかり言って恐縮ですが、私の子供には、親の収入の制限がありますから、私学に行くんだったら家から通えるところ、国公立に行くんだったら下宿してもいいわと、こういうふうに、経済が非常に厳しい中、そういううちの家訓として子供に指導してきたところであります。
しっかりと近江商人としてそれぞれの家訓を持って、そしてしっかりとした商売をやっているということは是非申し上げておきたいと思います。 その中で、三方よしという家訓があります。私はこの家訓が大好きでございまして、いわゆる売手よし、買手よし、世間よしということであります。
ですから、そういう江戸しぐさにかわる今しぐさ、昔の家訓にかわる我が家のルールとか、そういう、ある意味でつながりというものが今一番大事な、まさにきずな、心のきずなというものがポイントでございますから、それを家族、地域総ぐるみでどうつくっていくかということが大事な課題ではないかと思っております。
○内閣総理大臣(麻生太郎君) 昭和二十九年にたしか鳩山一郎という人が使っておられたのが我々中学生ぐらいのときの記憶です、鳩山家の家訓なのかもしれませんが。 私は、友愛が具体的にどのようなものを指しておられるのかということに関して詳しく承知をしているわけではありません。
それから、三点目といたしまして、歴史的に、御承知のように滋賀県、近江商人ということでございますが、近江商人の家訓に買手よし売手よし世間よしという、三方よしという家訓がございますけれども、それが滋賀県民の間にDNAという形で流れておりまして、私どももそれを受け継いでいるということでございます。
近江商人は江戸時代から、家訓というのに、三方よしと言ったんですよ。売ってよし、当然もうけるためには売ってよしですよ。買ってよし、消費者はいいものをいい値段で買えて買ってよし。そして、世間よしと言ったんですよ。今の経営者は、売ってよし、買ってよしは、悪いものを売ったらもうからない、ひどい目に遭うということで、だから、売ってよし、買ってよしで終わりなんですよ。
それは、渋沢栄一氏という、明治から日本の経済の近代化の第一人者ですよね、当時から道徳経済合一説というのを出して、それはもう福沢諭吉であれだれであれ、日本の今日、名立たる創業者というのはみんな、御承知のとおり、家訓とか社訓とか全部つくっていますよ。 最近、不二家の事件がありますでしょう。あれも、創業者は、金もうけばかりするなということを逆に言っているでしょう。
これは、京都の商家に代々伝わる家憲、家訓のようなものの中から、金はもうけなくちゃいけないけれども、仕入れ先をいじめてもうけちゃいけない、お得意さんに不義理をしてもうけちゃいけない、もうけたお金で自分のぜいたくはしてはいけない、公のためにこのお金を使うべし、私のうちなんかにもそういう家憲がございます。
商人も、古いうちの商人道というのがあって、古いうちにはみんな家憲、家訓というのがありますよね。これには何と書いてあるかというと、商売をする限りは利を上げなければならない、しかし同時に、お得意さんに不義理をしてはいかぬ、それから仕入れ先をいじめちゃいかぬと書いてあるんですよ。
それを断るための有効な理屈の一つとしてあったんだから、せっかくあって、しかも、これなくて断るとこれは角が立ちますから、あたかも競馬に一緒に誘われたときに、例えばうちの宗派ではばくちは禁止になっておりますから行きませんとか、いや、酒は飲んじゃいけないと言われるから飲みませんという話で、とにかくそういう、戦場というのは一種のばくち場みたいなものですから、そういうところへ出入りを断りたい場合には何か、うちの家訓
しかし、地主という立場ではあっても、井上家の家訓は勤勉、節約であり、井上少年も小学生のころから農作業を率先して行っていたと聞いております。 その後、熊本高等工業学校、現在の熊本大学工学部を御卒業になり、日本鉱業に就職されますが、一年ほどで戦時召集を受け、当時の満州の国境守備隊に配属、つらい軍隊生活だったそうでありますが、持ち前の根性と体力で乗り切り終戦を迎えられました。