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46件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-04-19 第190回国会 衆議院 総務委員会 第14号

特に、南阿蘇村におきましては、戊辰後、会津藩士家老だった佐川官兵衛西南戦争で従軍しまして戦死をしたゆかりのあるところでございまして、かなり交流をしてまいりまして、地元の方々、本当に、安否といいますか、心配であります。  まだまだ厳しい状況なんですけれども、一日も早い復興と安否確認ということで、本当に私も胸が痛い思いをしております。  

菅家一郎

2012-06-07 第180回国会 衆議院 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第16号

江戸時代に、信州松代藩家老恩田杢さんという方が藩政改革の事績を筆録した書、「日暮硯」というのがあります。  さて、この上、皆々が不得心なれば、手前が役儀も勤まらず候間、切腹いたすよりほかはなく候。したがって、手間に首尾よく役儀を勤めさせてくれるも、また切腹させるも、皆々様の了見次第に候間、いかがいたし候や、皆々の所存を聞きたく候。

室井秀子

2008-04-22 第169回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号

今、私の地元鹿児島、「篤姫」で全国のお茶の間をにぎわせておるところでありますが、この篤姫が活躍したよりもちょうど百年前の宝暦年間江戸時代ですね、そのときに、薩摩藩が、御案内のように、木曽、揖斐、そして長良の木曽三川、そこの治水工事のために幕命を受けて、そして平田靫負家老以下総勢一千人に及ぶ人員が薩摩藩から派遣された。

宮路和明

2007-02-05 第166回国会 参議院 予算委員会 第2号

議事録からちょっと引用させていただきますが、安倍長官長州藩家老村田清風の名前を引き合いに出して、私の地元にも幕末の前に村田清風という家老がいまして、言わば藩内において改革を断行したわけでありますが、当時も大変批判が強く、彼は結果として必ずしも幸せな人生を送ったとは言えないわけでありますが、彼のライバル家老はむしろ財政出動を進めたということであって、当時からどちらが当たっていたのかということが言われてきたわけでありますが

西銘順志郎

2006-05-18 第164回国会 参議院 行政改革に関する特別委員会 第9号

内閣総理大臣小泉純一郎君) 明日というのは将来ということでありますから、人によっては数年先、十年先、二十年先、五十年先、百年先といろいろ解釈できると思いますが、米百俵の精神というのは、そもそも長岡藩小林虎三郎、今で言うと家老、首相級の人物ですけどね、明治幕末大変窮乏、食うものもない、困難にあえいでいた長岡藩に見舞いのお米が送られてきたと。

小泉純一郎

2006-03-03 第164回国会 参議院 決算委員会 第4号

○国務大臣安倍晋三君) ただいま小泉総理が感想を述べられたわけでありますが、私の地元にも幕末の前に村田清風という家老がいまして、言わば藩内において改革を断行したわけでありますが、当時も大変な批判が強く、彼は結果として必ずしも幸せな人生を送ったとは言えないわけでありますが、彼のライバル家老はむしろ財政出動を進めたということであって、当時からどちらが当たっていたのかということが言われてきたわけでありますが

安倍晋三

2003-03-10 第156回国会 参議院 決算委員会 第2号

それよりも、将来、立派に国の再建を期す人材を育成するために使う方法がないかといって、当時の長岡藩家老的存在でありました小林虎三郎が多くの藩士の反対を振り切ってこの米百俵を売ってしまって、その資金を元に学校建設費用に充てたという話でありますので、私は、この米百俵の精神は教育だけじゃない、目先のことにとらわれないで、将来より良くしようとする資金に使おうではないかということを教えた逸話だと思っておりますし

小泉純一郎

2002-12-02 第155回国会 衆議院 予算委員会 第3号

時の藩士はその米を分配せよと迫ったんですが、その長岡藩の時の家老小林虎三郎は、学校を建て子供を育英すれば、今は百俵だが、やがては一万俵、百万俵になるとして、この米百俵を換金して学校資金に充当し、そして人材を育成したわけでございます。これがいわゆる米百俵の精神なんですよ。これを総理は引用された。  

横光克彦

2000-03-14 第147回国会 参議院 国土・環境委員会 第2号

あそこは御承知のように平田靱負正輔という鹿児島家老が五十四人も腹を切っております。幕府からは金が来ない、薩摩藩に迷惑をかけちゃいけないということで、大阪天満屋十兵衛というのから大変なお金を借りて、そして担保に砂糖を提供したんですが、三十三名が病死をして、それで結局は家老薩摩へ帰れずに五十四名と一緒に腹を切っております。  

中山正暉

1999-11-11 第146回国会 参議院 総務委員会 第2号

あれより前には、社会、政治に参画したのは有力大名、将軍家、御家老初め上級武士に限定されておったわけでございますが、それが下級武士も町人も百姓も全部社会に参画していくようになった。これが明治維新の最大の功績だったろうと思うんです。  そういったことで、あの明治の困難な時期、日清日露戦争を切り抜けて、日本植民地国家にならずにこうやって立派な国になってきた。

海老原義彦

1997-06-16 第140回国会 衆議院 外務委員会 第20号

その主人公である長岡藩家老河井継之助、有名な方でございますが、出処進退の大原則にかかわる名言を、外務大臣、御存じだと思いますが、彼は次のように言っています。進むときは人任せ、退くときはみずから決せよ、と言っております。なぜやめるときに人に相談したらいけないのか。やめない方がいいと言うにみんな決まっているわけです。  したがって、例えば、宏池会の大臣の先輩であります伊東正義外務大臣

東祥三

1996-03-01 第136回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

これをちょっと申し上げますと、明治維新のときでございますが、長岡藩河井継之助という非常に偉い家老がおられまして、これが官軍と戦いまして会津に落ち延びるわけでございますが、これが八十里越道路を通ったと言われておるわけでございます。そしてまた、会津の殿様も参勤交代のときはここを通っていかれたという、大変ロマンのある道路でもあるわけであります。

坂上富男