2018-07-03 第196回国会 参議院 法務委員会 第20号
国連国際家族年、一九九四年ですが、そのときに、家族の定義不能だとしました。つまり、地域、社会、人々によって家族の捉え方が違うと。しかし、大切なことは、社会の核となるものがあると。その社会の核となるものに民主主義を打ち立てようと、ビルディング・ザ・デモクラシー・アット・ザ・ハート・オブ・ソサエティーというのが国連国際家族年の標語でした。
国連国際家族年、一九九四年ですが、そのときに、家族の定義不能だとしました。つまり、地域、社会、人々によって家族の捉え方が違うと。しかし、大切なことは、社会の核となるものがあると。その社会の核となるものに民主主義を打ち立てようと、ビルディング・ザ・デモクラシー・アット・ザ・ハート・オブ・ソサエティーというのが国連国際家族年の標語でした。
だから、私は、やっぱり先生おっしゃったように、今度の農協改革についても、ICAが懸念を表明していると同時に、国際家族年のレポートでは、その序文でも日本の農業政策について大規模化を図っていくことについての懸念も、ちゃんと日本の名前が入って懸念が表明されているわけですから、考え方を変えて、日本の農業と農協の在り方にもう一度、問題ありますけれど、それを基本にした対応が必要なんじゃないかと、そういうふうに思
この国際家族年での一番の中心は、家族は最小限の民主主義の単位であるということから発足してございます。 私は実は小児科医で、今、子供は親といる時間を奪われ、親は子供といる時間を奪われて、本当に、不安と不安定の中に社会が推移しているように思います。
私は、何年か前に国際家族年というのが国連によって定められましたときに、家族というのは一番小さなデモクラシーの行われる核であるということをうたっておりましたことをよく覚えております。
少子化対策ですから、日本の中でも昔のように産めよ増やせよというような、こういう言葉では語られないわけなんですけれども、期待する人たちの中には、伝統的な家族のイメージというものについての復活に活路を見いだそうとするそういうような人たちもおりますけれども、その家族政策というのは、国際家族年以降、何かきちんとこの日本の中でできてこなかったようにも思うんですが、先生のお考えになる家族政策というのはどのようなものがいいとお
私は言いたいのは、国際婦人年の原則、国際婦人年あるいは国際家族年の原則は、唯一の家族の理想型、あるべき家族は存在しないんだ、そして国がそうした家族を強制することはいけないんだと。現実の家族の在り方に対する行動プログラムこそ大切だということは、国際会議で何度も問われてきました。
確かに国際的には、一九九四年の国際家族年というところで、国際家族年のモットーは家族から始まる小さなデモクラシー、正に民主主義の小さな核が家族だということが中心的なテーマでした。それならば家族という言葉を使われるべきで、家庭というもう死語になったような言葉を使うということについては私は問題がある。
特に六条、「国民の責務」と書いてあるので問題だという声も高くなっておりますが、衆議院でも、日弁連の代表の方が、これはライフスタイルに対する国民の価値観、生き方に対して一定の考え方、価値観を持つことを一律に国民の責務とするんだと、あるいは国連総会で採択された国際家族年宣言、ここで言われている、唯一の理想的な家族像の追求を避けるべきだ、国家が押し付けてはいけないという、こういう精神にも反しているんじゃないか
○岡崎トミ子君 この「夢を持ち、」のところに大変違和感を感じている、何回読み直しても違和感を感じるというところから、やはり、一九八九年に国連総会でも採択されておりますけれども、国際家族年宣言、この中でも、一国内あるいは国によって理想の家庭像を、大きく違ってきている。
これは国際家族年のモットーでもあります、精神でもあります、母子一体ということに反して、母子分離になってしまうわけですから。 私もつくづく思うんですけれども、夫からの虐待、あるいは父親からの虐待で子供が苦しむ、それでお母さんと子供で逃げたけれども、お母さんも軽い障害を持っている、そういう意味では、これはダブルハンディキャップ、そしてトリプルのハンディキャップになってくるんですね。
これはやはり、国際家族年の母子一体という理念に大きく反するわけなんですね。 やはりお母さんとお子さんが一緒だからこそ子育て支援になると思うんですけれども、このことに関して、障害児者の受け入れに対する加算というものを母子生活支援施設に対して行うべきだと考えますが、坂口大臣、いかがでしょうか。
さらに、結婚して子供のいる家庭という一つの家族像を理想とすることを政府が強調するものでして、一九八九年の国連総会で採択された国際家族年宣言、政府は、家庭にかかわる施策の遂行において、唯一の理想的な家族像の追求を避けるべきであるという精神にも反するものになります。 したがって、国民の責務の中から「家庭や子育てに夢を持ち、」の部分は削除すべきであると考えております。
これは国際家族年のモットーでもあります母子一体という原則に反するわけですね、離れ離れになったら。 そういう意味では、これからは、ダブルハンディキャップという障害のある母子の方々をどうするのかというのも現に重要な課題になってきていますが、障害者の加算というものを母子生活支援施設に検討するということ、坂口大臣、いかがでしょうか。
それからもう一点は、総人口のことでありますけれども、一九九四年に国連が提唱いたしまして国際家族年でありました。そのときのスローガンは、社会の基礎単位であります家族とその家族内を含めて男女平等のデモクラシーを構築するんだ、こういったことがスローガンでございましたし、また、同じ年に国際人口・開発会議がございました。
それから、その後、「シリーズ人権」で国際家族年に関して子どもの権利条約を取り上げました。その後、昨年は条約十周年ということで、これはディスカッションというかシンポジウムでございますけれども、「金曜フォーラム」で子供の人権をどのようにして守るかというのを教育テレビの夜に放送しております。
一九九四年は国際家族年でした。その宣言の中で、家族は多様であること、家族にかかわる政策の遂行において、明示的であれ非明示的であれ、唯一の理想的な家庭像の追求をやめるべきことがうたわれました。多様性を認め合うことは、国際的な要請でもあります。 国会議員さんたちのライフスタイルも、今実に多様になっています。
ちょうど昨年は国際家族年という年でございました。この国際家族年、その大きな国連のスローガンといいましょうか、標語は「ビルディングザスモーレスト デモクラシー アット ザ ハートオブ ソサエティー」、これが大きな標語でございます。これは、家族の一番もとからデモクラシーをつくっていこうではないか、こういう考え方であろうというふうに思っています。
大臣も率先して当時も取り組んでおられたわけですけれども、昨年、一九九四年の国際家族年で何とかこれを批准したいと願っていましたけれども、結果的にはことしの四月において国会で批准をされた。この間、私たちは中央委員会のもとに特別委員会をつくって積極的にこの推進を図るという形で進めてまいりました。
○清水澄子君 私は、このたびのILO百五十六号条約の批准を、一九八一年にこの条約が国連で、ILOで採択されたときから日本の国内における批准というものを要求しておりましたし、そしてちょうど昨年が国際家族年でありましたので、一昨年のときに外務省にぜひこの条約を批准すべきであるということを要望しておりました。
本来ならば国際家族年の昨年に何とか批准していただきたかったと思っておりますけれども、労働大臣も長い間この問題については大変御熱心に取り組んでいらっしゃったと思いますが、この条約が北京会議の前に批准できるということになれば、また北京会議へ向けての。本政府の積極的な姿勢が示されることになると思うのでございます。
この条約は、今申しましたように、家族的責任を有する男女労働者が差別待遇を受けることなくできる限り仕事の責任と家庭責任を両立できるようにという趣旨の条約と私は認識をさせていただいているんですけれども、労働省でもILO関係の条約の批准というのは大変積極的に取り組んでいただきまして、この条約も、ちょうど昨年が国際家族年ということもございまして、そういうことも踏まえて批准を急ぐ条約として最優先に考えておられたというふうに