1992-03-26 第123回国会 参議院 厚生委員会 第2号
○前島英三郎君 厚生省の何かのパンフレットだったと思いますが、国際家庭年、家庭年というとらえ方をしているところもあると思うんです。これは、なかなか日本語は難しいところですが、家庭年がいいのか家族年がいいのか。私は率直にやっぱり家族年だろうというふうに思うんですが、日本語の定義の難しさもあろうかと思いますが、その辺はもう固まっておりましょうか。
○前島英三郎君 厚生省の何かのパンフレットだったと思いますが、国際家庭年、家庭年というとらえ方をしているところもあると思うんです。これは、なかなか日本語は難しいところですが、家庭年がいいのか家族年がいいのか。私は率直にやっぱり家族年だろうというふうに思うんですが、日本語の定義の難しさもあろうかと思いますが、その辺はもう固まっておりましょうか。
老後の幸せとは、私なりの考えでありますけれども、他人に迷惑をかけないような健全な心身、子供や孫たちと遠慮なく生活できるような円満な家庭、年をとってはいても社会からまだまだ必要だとされており、また社会に奉仕できるというふうな気力と意欲、これらのものが絶対必要であろうと思います。さらに、それに加えて経済的基盤、以上四つの条件を満たさなければ本当の老後の幸せはあり得ないと、こう考えるわけであります。
また中には、母子家庭、年とった介護者が何とかめんどうを見ている、だが、この患者を置いて自分が先に死んだらどうしたらいいだろう、あるいはまた、この患者のめんどうを見るためには、自分自身が働かなければならない、だけれども、働いてしまったらだれがこの患者をめんどうを見るのであろう、そして、働きたいと思っても働けずに、暗い閉鎖的な在宅の状態を続けておる。これがいわば難病患者の生活の実態であります。