2016-05-26 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第23号
本来、子供は家庭的環境の下で愛情に包まれながら健やかに養育されることが望ましいため、都においては、昭和四十八年から、養子縁組を前提としないで児童の養育を委託する養育家庭制度を独自に創設し、児童の委託を推進してきました。 都の児童相談所では、児童の措置委託先の決定に当たり、児童の一人一人の状況を総合的に勘案した上で、まず最初に養育家庭の委託を検討しております。
本来、子供は家庭的環境の下で愛情に包まれながら健やかに養育されることが望ましいため、都においては、昭和四十八年から、養子縁組を前提としないで児童の養育を委託する養育家庭制度を独自に創設し、児童の委託を推進してきました。 都の児童相談所では、児童の措置委託先の決定に当たり、児童の一人一人の状況を総合的に勘案した上で、まず最初に養育家庭の委託を検討しております。
急速な少子高齢化や地域社会の変化、家庭制度の変化、福祉ニーズがそういうことに基づいて多様化、複雑化をしている。それから、生活困窮者への対応とか地域における支え合い、既存の制度ではなかなか対応できないということで、この四月から、生活困窮者自立支援法がスタートしたりしております。
このような高齢者が介護が必要になってきますと、老人ホームやケア付き住宅、あるいは受入れ家庭制度というところに移っていくわけですけれども、こういう人たちに対して実は医療が必要になってきます。
家族、家庭制度の根幹にかかわる問題を含んでおりますもんですから、私どもとしては、大方の国民の理解を得て改正を行うということが望ましいと考えておるところでございますので、今後各方面での議論が一層深まることを期待しておる次第でございます。
○坂本参考人 私は二十年前に、東京都の制度である養育家庭制度と申しまして、お間違えがあってはいけないので、ちょっとそこのところを御説明しますが、養子縁組とは違う、養育の専任の里親になりまして、三人の子供とかかわりました。
○福田国務大臣 男女共同参画社会基本法で今の家庭制度とか家族制度、そんなようなものを破壊するかどうかというのであれば、それはそういうことじゃないと思います。日本には日本古来の伝統もあるわけでございます。そして、今現在、その伝統にのっとった家族、家庭も存在しているわけでありまして、それは今後も、守るべきものは守っていくということなんだろうと思います。
この点についても、これまでの日本の伝統的な家庭制度というような問題もあって反対意見もあるということですが、私どもの案は全員が夫婦別姓にしろというのではなくて、選択制でございまして、どうしてもその必要がある人について、あるいはそれを希望する人についてそれを認めていいのではないかというような制度でございます。
第三には、女性の社会進出の現象と、企業、家庭、制度、文化などの既存の社会システム、もう少し言えば男女役割分業型のシステムとのあつれきが生じ、仕事と家庭の両立の難しさが顕在化しているという見方であります。
今後男女共同参画社会の前提たる男女平等の実現にあっては、まず、雇用の分野における男女の平等な取り扱いの促進や家庭生活と職業生活との両立の支援のための施策とか、それから、性別による固定的な役割分担意識の是正を初めとする男女平等を推進するための教育、啓発にかかわる施策、そして婚姻など家庭制度に関する法制度の見直しや社会保障制度などの諸制度を個人単位に見直すことなどがあると思います。
○岩浅委員 これは平行線でございますけれども、やはり日本の今までの美徳というのは、家族制度、家庭制度、特に強いものがあったと思うのですね。それで、肉体的な痛み、心の痛み、被爆を負って、その方を介護したり一緒に生活する、同じ心の痛みを共有してきた、こういうのが家族であり兄弟であるということになろうかと私は思います。
私は、基本的に賛成でありますし、やはり家族が家族の面倒を見るというのは日本の伝統的な家庭制度というものを考える基本だろうと思うのです。 しかし、そういう面ともう一面、私は、これから高齢化社会で、高齢者で病気の方がふえて、しかも長い場合に、それは家族の労働を超えるものではないか。
○山下国務大臣 最近よく亭主は達者で留守がいいなんという言葉を聞くのでございますけれども、私は、あるじも含めてみんなで子供を大切に育てていく、そういう家庭制度が一番理想であると思っております。先ほど私はノーと申し上げましたけれども、これは先進国として、私も随分たくさんの国々を回りましたが、見た国々の中では日本は一番いい方であります。
過日、私スウェーデンに参りまして、少し社会福祉の状態を見せていただいたのでありますが、やはりあの国におきましても、日本の家族制度の今日のあり方よりも、ともかく伝わる家庭制度というものに対する一つのあこがれをほんとうに持っていますね。よく知らぬけれども、ともかくさびしい。制度は至れり尽くせりだがさびしい。そのさびしさをほんとうに埋めてくれるものは、日本のああいうあり方ではないだろうか。
しかし、ややもすると、社会風潮として、老人が非常にいわゆる敬愛されないというような、これは家庭におきましても言うまでもないし、家庭制度の変化——崩壊とまではいかなくても、変化によって、老人が家庭から締め出されたり、あるい社会的にも、また、あまりおもしろくないような立場にある。しかし、人口構成からいって、老人はより健康で働いてもらわねばならぬというのが老人福祉法の第一のわれわれのねらいでございます。
これは、家庭制度のないアメリカその他ヨーロッパにおきましても、毎週一回教会に行くとか、あるいは一日一回の反省をするとか、あるいは朝晩仏さんに参るとか、かしわ手を打つとか、これは心がまえの問題であります。それを親のしつけとして子供を導くのも一つの方法でございますが、家庭教育自体から当然宗教心がわいてくるものじやございません。
従って婦人のために日本の家庭制度というものが存在するとさえ私は考えております。これを忘れるわけにいかない。しかしそれ以外に、未亡人になられた方とか、あるいは家庭を持った経験のあられる方がよりいいことが社会にはございます。
従いまして毎日の食膳の中で栄養のある物をおやじに食わせる、ところが日本の家庭制度の中ではやはりおやじだけがいい物を食べて、小供がたくさんおる中で子供らに食わせないというわけには行かない。その場合にやはり人情としても家庭的な生活費が嵩んで行く、おやじが食わないでそうして家庭も辛抱して行こうというならばいいわけです。ところがなかなかそうは行かん。
家というのをどうして書くか、青年は迷うのみならず、今の憲法が日本の国風に最も合わないのは、家庭制度を根本的に破壊したこと、これはいなかに行くと、ことに声を一にしてみな叫ぶところであります。この家の制度を破壊したということは、東洋の社会組織の根底を破壊したことであります。私は道義高揚はやりにくいと思いますが、憲法のこの点についても急に改正をやるという意味ではありません。
問題は少年犯の問題ばかりではなくして、むしろこれは一概に言つて現在の家庭制度の崩壊状態、一般的な暮しの問題、さらに一般的な社会全体の問題と関連があることで、これをただ小手先の仮釈放の取消し——停止の解除とかいうような技術面のことで、私は民族の宝とも言うべき青少年の訓練をやつて行くというやり方は、どうも一抹の危険——というよりも、多大の不安を持たざるを得ないのですが、その点を一つ最後にいたしまして、私