1947-11-28 第1回国会 参議院 本会議 第58号
その理由は、政治道徳の根源は家庭の中にあるのであつて、結婚問題は國及び社会の基礎をなす重要な問題であるに拘わらず、日本では昔から個人の私事としてのみ取扱い、國及び社会の立場からはいつの時代も看過放任されて來た。
その理由は、政治道徳の根源は家庭の中にあるのであつて、結婚問題は國及び社会の基礎をなす重要な問題であるに拘わらず、日本では昔から個人の私事としてのみ取扱い、國及び社会の立場からはいつの時代も看過放任されて來た。
それを一律平等に一家庭について三千圓というような行き方は、公平という觀念から見てどうしても公平でない。のみならず現在になりましては、石炭の配給が全然できなくなつておる。それは御承知の通り、北海道は六十萬トン以上掘つたならば、その六十萬トンを超えた數量を家庭炭に配給する。
そこで一家庭で三千圓、こういうことになつておりますが、これは二トン與えるお考えでございますか。一トン二分というわくであるならば、三千圓は要らないことだと思うのでありますが、この點はどう御計算になつておるのでありますか。
そういう危險があるところで、家庭を離れて一緒にいる。しかもほとんど普通の家に寢られるわけではありません。そういう者に對する待遇が、一日わずか十圓です。それから夜間の看守長の宿直料が八十錢、しかもこれは他の官廳の宿直と違つて、夜中に集團的に脱獄するという危險も多い。
卑近な例を申し上げてまことに恐縮でありますけれども、個人々々の家庭が非常に窮乏してまいつたときには、これは結局たくさん働いて、使う方を少くしていくという、兩方の面から家計の建直しをしなければならぬことは申すまでもない。その意味において國家が一方に生産増強を唱えられ、一方に國民の耐乏生活を強いられる——強いられると申し上げては、あるいは語弊があるかもしれない。
しかしまた依然として商品等をもつております場合には、相當重くかかつても當然であり、また農村で多少の家庭用動産が殖えておりましても、中にはいつている動産、殊に割合に廣い家屋をもつておりましても、中にはそれほど動産がはいつていないというような實情は、ちようどぴつたりいくんじやないかというふうに考えたのであります。
特に最近にようなインフレ下におきましては官公職員の家庭におきましても一時金を以ちまして越冬の準備をするというような余裕は全然ないのでありまして、こういう点につきまして政府に善処を要望して参つた請願書でございます。特に寒冷地用の防寒具、或いは繊維類、履物等の特別配給の問題も強くこの二件の請願書の中には強調せられておるのであります。
しかし、その消費の總額は殖えておるのでありますが、その内容を見てまいりますと、殖えておるものは、書籍、雜誌、あるいは旅行費であるとか、娯樂費であるとか、通信費であるとか、タバコ、アルコールに使う消費であるとか、こんなところが相當に殖えておるのでありまして、食糧とか、あるいは衣料とかあるいはいろいろな家庭用具、そういうものは減つておるのであります。
子供三人抱えておる家庭でございます。その人が民生委員を通じまして生業資金を今年の四月に五千圓借りました。ところが六ヶ月後の九月十二日に現金五百圓、利子百三十五圓を支拂えという催促でございました。ところが引揚者でありますから、わずか半年の間にこれらを返せる道理がないのでございます。子供三人抱えての細々とした商賣でございます。その實情を訴えて延期方をお願いいたしましたら、民生委員がどうしても聽かない。
かようなことを昨日しみじみ感じさせられましたので、ここに一つの例を提供したような次第でありますから、ひとついかに國民が迷つているか、いかに家庭の主婦がこのために惱まされているかということをよくお考えいただきまして、薪炭問題を至急に解決し、そうしてすべての問題の隘路となつておりまするこうした腐つた因果關係をひとつ斷ち切つていただきたいということを強く要望いたしまして、私のあなたに對する質問を終りたいと
これは皆さん方の御想像以上で、各家庭ではもう爆發點まで來ているわけであります。私どもが演説會や座談會に參りましても、一體皆さん方は生でかじつていけと言うことかということで鋭い質問を受けまして、その答辯に私たちは困窮している状態でありますので、その點も御考慮願つて、ぜひ年内に一俵は——輸送その他の關係もあり、はなはだ心もとない状況ではございますが、これだけは必ず確保してもらう。
この百トンの人口甘味料をどういうふうに配分しているかと申しますと、大體一番重要に考えておりますのが、全國の都市家庭配給であります。次ぎに炭鑛勞務者用、それから鐡鑛、肥料、醫藥用であります。一番最初に申し上げました都市家庭配給の點が、ただいま質疑があつたことだろうと存じます。
民法の改正に伴いまして、家庭事件を適切に處理いたしますために、先に家事審判法案を提出いたし、すでに御審議を經て成立いたしたのでありますが、この家事審判法の施行等に伴いまして、現行人事調停法を廢止し、現行人事訴訟手續法及び非訴事件手續法を改正する等の必要がありますので、ここに本法案を提出いたした次第であります。 次に本法案の概要を御説明いたします。第一は、人事調停法の廢止であります。
○一松政二君 報奬物資に向う数量と、それから自由販賣になる数量とを差引いた残りは、私は家庭配給は來年は一遍か二遍しかないというふうに承つておるのですが、その割当計画なんというものに対して、運営委員会として何ら発言……仮りにするのは勝手であるかも知らんけれども、殆んど政府のすることをただ承認するだけに止まるのじやないですか。
そうでないと家庭用の配給量というものを決定することができなくなりますから……。
たとえて申しますならば、基礎控除の四千八百圓、かようなものは現在の、たとえ一家四人二分の家族をもつております家庭にいたしましても、その最低生活費を保障するに足りないものであります。殊に現在生計費の中に占めます飲食物費の割合というものは、かつてのごとく三〇%や三五%でなくして、すでに七五%を超えておると傳えられております。また事實は八〇%になつておるかもしれません。
それからもう一つは災害のある場合に、その赤十字の記章というものは減多な所にないということになりますが、それは半紙に書いてもいいようなものでありますけれども、家庭におきまして赤十字の旗というようなものを拵えて持つておるということが違反かどうか。その点です。
現今のわが國の産業経済の実情はあまりにも切迫しておりまして、石炭の不足はわが國産業を破局の一歩手前に追いやり、また家庭は毎夜の停電を余儀なくせられ、また列車は冬を迎えて大削減が再び訪れようとしておるのであります。
又政府要路の官僚に対しては、家庭の世話まで、いつも痒いところへ手を届かしめて、朝夕出入して交情極めて濃やかに、欲して得られざることなく、望んで達せられざることがなかつたのであります。
それ以外のものは、大體家庭の事件につきましては、家事審判所で行うことにいたしました。そういうわけで、原告、被告の利益がほんとうに相對立して、しかもそれが基本的な身分關係の發生、消滅、變更を目的とするものというふうな大體の標準で、訴訟と調停にふりわけました。
この意味におきまして、先ほど申しましたように、世の中は非常に窮屈なる——家庭は赤字にあえぐ今日の状況から鑑みまして、私どもは家計費の一部を補うと申しますか、一部のたしにでもなるようにということを考えまして、物品税の増税分に対してなりでもここに修正をいたしまして、そうして、その修正の恩恵を受けるところの家計を救済していく、こういうことが最も適切妥当でなかろうかと信ずるのであります。
千八百円ベースをもつて十一月には黒字を出せると言うたあの安本長官が——この嗜好品の経済は、家庭におきましては三十分の一が普通である。三十分の一としまするならば、タバコは一箇月間少くとも六十円をもつて終らなければならぬと思うのであります。しかるに、現在の十本五十円は、おそらく千八百円のほとんどを食い潰してしまうのではなかろうかと思うのであります。
これは恐らく中産階級以上の家庭のことと存じます。いわゆる符生活で家計の苦しい家庭では、奥樣方が大体これを以ちまして少しでも家計を補おうとされる結果、この煙草がいわゆる闇に流れるのであります。この闇煙草でありますが、「新生」、ピース等の半額で取引されております。それだから飛ぶように賣れる。だから四十円の「新生」、五十円のピースが賣れないのは当り前であります。
私が喋々と申上げるまでもなく、今家庭の母親は毎日の生活に追われまして疲れ、殊に農村の母たちは、都市の婦人以上に耕作者として文母として何重もの生活担当者であるために、子供の教育に力を注ぐ暇もない有樣でおります。やつとぼろを綴つて子供に纏わせ、又お芋をふかして與えつ放しになつておるのであり、石鹸のない水洗濯を続けて、その日その日を過ごしておるという、そういう生活状態の中におります。
そういう点で、私は燒けなかつた人にむしろ衣服の現物を出させたらどうかと思いますけれども、とにかく各人の年齢と、生活の程度に應じて、平素着ているようなものを標準におきまして、一人は袷一枚、目方でも結構でありましようけれども、そういう方法で、五人以上の家庭には蒲團一枚と、こういう形にでもさせてこれを燒けた人に配給して貰いたいと思います。
殊に賃貸價格を課税標準として簡單に調査をするということで初めてやり得るのでありますが、一々各人の家庭の動産が、どういうような動産があるかというようなことを調べるということも困難であります。又その中で何を出させるかということも非常に困難でありまして、税という形式ではこれは恐らくやり得ない問題だと考えるのであります。
これは一に教育なり、あるいはまた家庭におけるやり方なり、また政治の上において努力しなければならないことでありまするが、特に政治の上において、文化、教育、道義高揚、國民の判断力を健全に養成するということに大努力をいたしたいと考えております。