2019-04-24 第198回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
日程といたしましては、三泊から四泊の日程で、日本の樺太時代ゆかりの名所でありましたり、あとは、宮沢賢治の著書であります「銀河鉄道の夜」の着想の舞台とされます旧栄浜駅の跡を見学をいたしましたり、あとは、地元の名産のカニやホタテなどを味わうというような内容になっているということであります。 このツアーの反響、それから申込み状況ということについてお伺いをしたいと思います。
日程といたしましては、三泊から四泊の日程で、日本の樺太時代ゆかりの名所でありましたり、あとは、宮沢賢治の著書であります「銀河鉄道の夜」の着想の舞台とされます旧栄浜駅の跡を見学をいたしましたり、あとは、地元の名産のカニやホタテなどを味わうというような内容になっているということであります。 このツアーの反響、それから申込み状況ということについてお伺いをしたいと思います。
それがある意味でいえば、宮沢賢治じゃありませんけれども、雨にも負けず風にも負けず、そういったことで国民の安定した生活に貢献する一つ大きな役割もそこにあるのではないかなというふうに受け止めております。
この銀河線という名前も大体これは宮沢賢治に由来する名前ですから、廃線にしたくなかったんですけれども、やむなく第三セクターに移管して、基金を積んで運行、そういう手法に頼らざるを得なくなりました。それが、今JR北海道が希求しているというか求めている解決の手段の一つなんですね。 しかし、結果はどうだったのか。わずか十年しかもちませんでした。
それから、これまた先輩の宮沢賢治も、彼は童話作家、詩人ということでありますけれども、岩手はたびたび冷害があって農業が厳しい、そういう中で、自分も農学校を出たものですから、土壌の改良だということで、石灰石の採掘ということで、その採掘したところが、岩手の一関市の東山町の陸中松川というところの駅の近くの工場でありまして、そこで働いて、その駅周辺のことをたびたび書いておるところであります。
生まれは専業農家の長男、九代目として生まれまして、宮沢賢治に非常に引かれまして、地元の大学を出て農業改良普及員になりました。
宮沢賢治、「雨ニモマケズ」。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」云々とあります。 まさに、被災地の方たちはこのような気持ちで毎日を過ごしていると思います。
そして、平野大臣も岩手県の北上の出身ということで、この南部藩が生んだ有名な宮沢賢治という方がいらっしゃいますけれども、この人が詩を書いています。「雨ニモマケズ」という詩を書いていますけれども、まず最初に、平野大臣はこの詩を御存じでしょうか。
ただし、私は多くの国に無償資金協力もある程度は必要だと思いますので、予算が減らないためには、先ほど申し上げましたように、とにかく世界全部、我々は、ある意味じゃ宮沢賢治みたいに、どこも行ってやるんだという形で予算の確保というのはしてもいいんじゃないかと思います。 以上です。
私は、小学生の時に宮沢賢治の「全人類が幸福にならない限り、個人の幸福はありえない」という文章に出合い、政治家を志しました。 父信二郎、伯父孝太郎が私の大学入学前後に早世したため、二人の遺志を継ぐべく、財政、国防、外交、教育を中心に政治活動を行ってきました。 大蔵政務次官を皮切りに、自民党財政部会長、衆議院大蔵常任委員長、初代財務副大臣を歴任してきました。
宮沢賢治の、岩手県の花巻の出身のあの山の風をはらみながら作品を作った宮沢賢治でありますが、有名な「雨ニモマケズ」に書かれているようであるべきではないかと、政治家は、思います。
ドイツの場合には劇場が丸抱えしますし、フランスの場合にはアーティストに対する最低所得保障があって、それで賄われているわけですけれども、それ、何が違うかといいますと、例えば、先ほど私の作品の話をしましたけれども、今ずっとフランスじゅう回っているんですが、そうすると、私の作品が上演される一週間前ぐらいからその小学校では日本についてとか日本文化についてとか宮沢賢治についてとかという授業もして、その授業の教材
ちょっと質問から離れますけれども、これまでにも本会議で、あるいは本委員会でもお話をしたことはあるんですが、地元の作家宮沢賢治についてちょっとだけお話をさせていただきたいと、このように思います。 宮沢賢治は、昭和六年に、「雨ニモマケズ」と、こういう歌を発表をしております。この中を見ますと農業に関するものが様々入っておりますので、ちょっと御紹介を申し上げたいと思います。
明けて日曜日の十六日は、これまた雨が続きましたが、宮沢賢治のあの歌にもありますように、雨にも負けず沖縄県民の怒りはついに普天間基地を包囲をいたしました。 そして既にその前段として、もう大分時間たっておりますが、普天間基地の第二ゲートは日ごろから封鎖されております。
先般もラジオの方に頼んで、宮沢賢治の「風の又三郎」を東北弁で放送してよと、実際にやったことがありました。林隆三さんにお願いをして、あの人は東北出身でいらっしゃいます、東北弁でやっておりました。 私は、NHKのアナウンサーは標準語を使えということは言いません。標準語というのは今何が標準語か分からないけど、しかし美しい日本語を使ってほしい、それからそれぞれの方言というものを大事にしてほしいと。
マハトマ・ガンジーもすべての人の目からすべての涙をぬぐい去ることが私の願いであるとおっしゃっておりますし、また、宮沢賢治も世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はないというふうにおっしゃっています。 私も、やはりこの世界の平和というものをつくるためには、一人一人の方が平和でなければいけないし、また一人一人の方が平和でなければ世界平和もないというふうに考えております。
例えば、宮沢賢治のような作品を、他国の言語でそこに流れている風の音やあるいはそこに漂っているその地域の人たちのハート等を伝えていくということはなかなか難しいことだと思います。しかし、そういう中でもそのような能力を備えた多くの日本人が出てきたことは確かでありまして、言語環境の上での発信力というのは、私はある程度そういうベーシックなところでは整っているのではないかと思います。
ちょっと話は違いますけれども、私、小学校のときの五年生、六年生の担任の先生が宮沢賢治が好きで、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の詩というか散文というか、これをクラス全員に覚えさせて、毎朝必ず繰り返すんですね。大体今でも私は覚えていますけれども、ちょっと自信がないのでここでは御披露しませんけれども。
そういうことを何にするかというと、案外、今、日本では全然自信を持っていない方が多いのでございますけれども、北の方に行きますと、私は旧制高等学校時代に宮沢賢治の作品に大変魅せられたわけでありまして、そういうような同じ思想を持っている方としては、後藤新平先生とかあるいは新渡戸稲造先生というような方々がいらっしゃいます。
ちなみに、あのうな重発言に関して言えば、岩手県なんかでは、私、この間、総務委員会でも言ったんですけれども、宮沢賢治の言葉をかりるわけじゃないんですけれども、一日に玄米四合とみそと少しの野菜を食べつつあるような自治体も出てきているということなんで、そういうところに是非配慮をしていただきたいということを併せてちょっと要望しておきたいと思います。
それから、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのを暗唱されていたり、あと、萩原朔太郎の「竹」という詩を朗読したりというような姿勢を見て、私も非常に元気づけられたわけでございます。朔太郎が「竹」という詩に書いたとおり、まっしぐらという形容がまさにぴったりの様子でした。