1951-11-14 第12回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号
○証人(宮沢綱三君) 証人の終戦当時における職歴を申上げるのでありますが、私は終戦当時におきましては、上海におきまして主として時計及び貴金属等の輸出入商をやつておりました。なお当時上海におきまするところの地位といたしましては、名譽職のことを申上げますと、上海日本商工会議所の常議員であり、且つ商業部長でありました。
○証人(宮沢綱三君) 証人の終戦当時における職歴を申上げるのでありますが、私は終戦当時におきましては、上海におきまして主として時計及び貴金属等の輸出入商をやつておりました。なお当時上海におきまするところの地位といたしましては、名譽職のことを申上げますと、上海日本商工会議所の常議員であり、且つ商業部長でありました。
○証人(宮沢綱三君) 私は第二点は、上海商工会議所の常議員兼商業部長、それから上海居留民団におきましては主として日本総領事館の嘱託をいたしまして同法廷における調停委員、政府復興資金の審査委員、それから上海における税制の審査委員及び当時食糧に対して上海の十数万を賄うところの広生公団の仕事をやつておりました。
東京大連会会長山田浩通君、元滿鉄副総裁、元全滿居留民会会長平島敏夫君、元北京総領事華山親義君、元上海居留民団民会議員宮沢綱三君、元京城電気株式会社社長、元京城日本人世話会長穗積眞六郎君、在外公館貸付会返還促進連合会委員長中村猪之助君、在外公館等借入金評価審議会委員岡崎嘉平太君、以上であります。