と申しますのも、実は私、生まれた土地は熊本県の荒尾市というところなんですけれども、この熊本の荒尾市というところには、孫文が宮崎滔天の兄弟のもと、かくまわれていた歴史もあるということで、私は個人的にライフワークとして、この孫文の日中にわたるいわゆる革命の闘争といいますか、そういったものについてライフワーク的に研究もさせていただいておりまして、この安川邸が、孫文が宿泊をしたという歴史的に大変重要な場所であるということも
吉田宣弘
そして、覇権とか覇道、王道の孫文の演説も御引用なさいましたけれども、この前の上海の万博では梅屋庄吉の孫文に対する支援というのがありましたけれども、宮崎滔天、犬養木堂、それから我々福岡、玄洋社、頭山満、これ、懸命に命懸けで孫文を支援してきました。
そして、孫文の三民主義を含めて、孫文が言ったのは法治なんですね。
舛添要一
熊本県においては、横井小楠、宮崎滔天、徳富蘇峰、蘆花等々、非常に傑出した人物が明治維新において大きな働きをしております。また、私の父親の弟に当たる人物は、一九四五年八月十四日まで憲兵をしておりました。非常に高位の憲兵のクラスにおりまして、そういう奇縁もあり、私自身は日本の社会の生理というものを一番よく知っている人間であるというふうに自負しております。
姜尚中
だけになっちゃっては大変だというので漏らし出したのでありまして、中国の外交を担当している朱子文すら、アメリカとソ連との間にヤルタ協定というものがつくられているらしいという情報をキャッチしてから米ソの間を往来して、そして真相をつかまえようとしたが、日本が八月十五日に無条件降伏への道、天皇みずからが人間天皇を宣言した後においてこの和平に踏み切ったという以外にいわゆる和平運動や軍部、支那浪人と称する、ときにはあの宮崎滔天
戸叶武