1997-07-09 第140回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
さらに昭和二十一年の三月には、南京にございました支那派遣軍の総司令部が、山西省にある第一軍の様子がどうもおかしいということで、総司令部から、当時の参謀でございます宮崎参謀が山西省を訪れまして全員帰還の方針を各部隊へ伝達してまいったわけでございます。
さらに昭和二十一年の三月には、南京にございました支那派遣軍の総司令部が、山西省にある第一軍の様子がどうもおかしいということで、総司令部から、当時の参謀でございます宮崎参謀が山西省を訪れまして全員帰還の方針を各部隊へ伝達してまいったわけでございます。
それで、先ほど先生からお話がございましたが、二十一年の三月に至りまして支那派遣軍の宮崎参謀が山西の方に参りましていろいろ説得をされた経緯がございます。それによりまして、先ほど先生がおっしゃいましたように軍人約五千九百名ぐらいに減少しております。
今言われましたところの最高潮が済んで、宮崎参謀が南京からやって参りまして、そういったようなうわさを聞いて、そうしていろいろ動揺が起ってきたそのような時期であります。このときに太田黒参謀のところから電話があって、編成をするようにと言われて編成をやっております。またその後においても、太田黒参謀自身が各隊を回って、私の大隊にも来ております。